古潭。秋の自然を楽しむ。

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「名言との対話」11月18日。羽仁未央「画一的な人生のパターンに向けて、みんなが競争しているのは、異常だと思います」
羽仁 未央(はに みお 1964年2月29日 - 2014年11月18日)は、日本のエッセイスト、メディアプロデューサー。
羽仁未央は、映画監督・羽仁進と女優・左幸子の娘。5歳から9歳はパリ。9歳から11歳は父の動物撮影に随伴しケニアで暮らす。小学校4年生で帰国し不登校に。1987年から香港在住。1982年、映画出演。1991年、映画監督、脚本。1998年、香港の中国返還についてレポートを行う。50歳で没。
左幸子と離婚した羽仁進の再婚の相手は別れた妻・左の13歳年下の実妹で13歳下。美術大学を卒業して羽仁家に出入りするようになる。女優・左幸子には映画のオファーが殺到していた頃で、未央の世話をするようになる。羽仁プロに入り、プロデューサーも務める。左幸子の密葬に親族100人ほどが集まったが、実母の死を知らされた未央は、「あの方とは親交がなかったから」とだけ答え、出席しなかった。
曾祖父・羽仁吉一(はに よしかず、1880年5月1日 - 1955年10月26日)は、日本のジャーナリストで、教育者。曾祖母・羽仁もと子(はに もとこ、1873年9月8日 - 1957年4月7日)は、日本で女性初のジャーナリスト。また、自由学園創立者。また家計簿の考案者
祖母・羽仁説子(はに せつこ、1903年4月2日 - 1987年7月10日)は、日本の教育評論家。説子の夫の祖父・羽仁五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家。参議院議員日本学術会議議員。
父・羽仁進(はに すすむ、1928年10月10日 - )は、日本の映画監督。母・左幸子(ひだり さちこ、1930年6月29日 - 2001年11月7日)は、日本の女優。
こうやって羽仁家が生んだ個性あふれる人物を眺めると、血と遺伝子の存在を信ぜざるを得ない。不登校というより登校拒否の先駆者であった羽仁未央は、日本の教育制度に批判的であったし、日本では住みにくかったであろう。「不登校新聞」の創刊1周年号にインタビュー記事が載っている。「日本では、若い人が早いうちから好奇心を疲弊させてしまっている。生きていることって、もっと単純におもしろいことなのにって、日本に来るたびに感じます」。自由学園創始者の血筋は、自由人を生み続けた。その結晶が羽仁未央であったともいえる。