インターゼミーーシンガポール。AI班。

インターゼミ。

・杉田先生「シンガポール出張。早稲田シンガポール高校。JETRO、高齢者を働かせる仕組み。フィリピン人家政婦、戦略経営塾、570万人、、」。・大場先生「福生市の石川酒造。英語HP、1万人のうち2割は外国人、免税書類の問題、ハイエンド旅行者獲得の課題、、、」。船井・佐保君からも報告。・加藤先生「アメリカの認知心理学学会参加報告」。・田辺君「藤沢市観光協会に就職」」「加藤君「読書。新渡戸の武士道、、」。

学長講話

・文献とフィールドワークで得た材料を収れんさせていく。積み木の上に立つ。

・「ネットワーク型視点(つながり)」。「自分なりの座標軸」。シンガポールモデル:5.8万ドル(日本は3.8万。東京と同等)。74%が華僑・華人。3500万人の中華系(異民族支配、反共)。「弱点を強みに変える知恵」。社会実験の国。水の淡水化。交通のコントロール。教育格差、14歳で決定。「笑顔の北朝鮮」。大中華圏の南端。ユニオンジャックの矢の一基点(大英連邦。英語、英国法)。日本とシンガポール。パーシバル将軍(6万人兵)の降伏。電源と水。山下将軍。銀輪部隊。昭南島。1900年の漱石がみたシンガポール。600人のジャパユキさん(売春婦)、数千人の日本人墓地、二葉亭四迷の墓、、、)

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 AI班:人間はどうする。自分はどうする。自分の言葉に置き換える。人間とは何か。課題解決力。誰に相談するか。粘り腰。生身の人間。君はどう思うか。AIの可能性。1.5キロの脳は3分の一のエネルギー消費。認識と意識。美意識、価値意識、愛。

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 AI関係の書棚。200冊近い本。

『世界』12月号の「脳力のレッスン」200「人類史における宗教の淵源」

以下、宗教の起源に関して言及している本。

E・フリー・トリー(スタンフォード大学の精神医学者)『神は、脳がつくった』

R・ドーキンス『神は妄想であるーー宗教との決別』

エドワード・タイラー(19Cの文化人類学者)『原始文化ーー神話・哲学・宗教・言語・芸術』

クリストファー・ボーム(南カルフォルニア大学の人類学者)『モラルの起源』

フランス・ドゥ・ヴァール『道徳性の期限ーボノボが教えてくれること』

ニコラス・ウェイド(英国のジャーナリスト)『宗教を生み出す本能ーー進化論からみたヒトと信仰』

芥川竜之介『さまよえる猶太人』『西方の人』『続西方の人

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 「名言との対話」11月24日。高田文夫「人生はいろんな出会いで織り上げられた織物みたいなもの」

高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は日本編集者・作家、随筆家。 

光文社アジア経済研究所で雑誌編集を経て、1964年から11年間エッソ石油広報部でPR誌エナジー』の編集を行う。京大時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として高く評価された。千人に近い執筆者と交流して、結果的にそれが高田宏という人物を織りなす縦糸と横糸となった。

高田は50歳でフリーになり、本格的に作家活動を始める。随筆・評論・紀行など著書は百冊を数えている。1978年言語学者大槻文彦の評伝『言葉の海へ』で大佛次郎賞亀井勝一郎賞を受賞した1990年に『木に会う』で読売文学賞1995年雪国文化賞1996年旅の文化賞を受賞した。

加賀の片山津温泉の一つの小学校から、「雪は天からの手紙である」と言った中谷宇吉郎、「白山を吊り上ぐるかや寒の月」と詠んだ深田久弥、そして「私は雪恋いである。東京という町を年々好きになっているのだが、雪のないことだけが不満である」とした高田宏と連なる雪国人の系譜が生まれた。

2012年の金沢への旅行時に、私は加賀市を訪問した。「中谷宇一郎 雪の科学館」は休みだったのですが訪れることはできなったが、「深田久弥 山の文化館」を訪ねることができた。この時、館長は高田宏であったことを覚えている。

70歳まじかの2000年に書いた『還暦後』というエッセイ集では、以下の記述がある。ーー4原稿用紙に2Bの鉛筆を使う。八ヶ岳山麓の山の家で書く。一時間2、3枚のリズムで書く。旅先で墓地を歩くクセがある。一年に40-50回の短い旅をする。東海道五十三次を月1回一宿歩く。千枚近い『悲の器』を書いた高橋和己とは京大時代からの友人で高橋が亡くなる40近くまで交流があった。

 高田宏は、人間ドックの受診は1989年でやめることにした。それから15年後の2015年11月24日、肺がんのため死去。83歳没。

人は一生の間にさまざまの人と縁を結ぶ。ある人は生涯を貫く縦糸となり、また人生のステージごとに大事な横糸となる人々もある。人生という織物は年齢を重ねながらしだいに形が見えてきて、独自の色が施されていく。その創造的な織物全体の姿と価値は、最後の瞬間まで自分にもわからない。

 還暦後

還暦後