「ビジネススクエア多摩」企画運営委員会。大分合同新聞に講演の記事。

 午後:「ビジネススクエア多摩」企画運営委員会。多摩市・多摩大・多摩信金

・近況報告:多摩大「ジェロントロジー。ルール研と社会的投資研」。多摩市「東京都多摩市基本計画。ビジネス支援施設認定制度。長谷工ミュージアム」。多摩センター駅のサンリオ化」。多摩信金「創業支援。クラウドファンディング。キャッシュレス」。電通大の竹内先生「深セン出張報告:中国スタンダード。中華イノベーション。香港と1時間。キャッシュレス化」。

・平成30年度BS多摩運営報告。未来創造シンポジウム。来年度の創業支援事業計画、、、、、、、。

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大森拓哉先生:ゼミ必修化

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大分合同新聞の2018年11月17日号に中津での講演の記事。

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「名言との対話」11月26日。島田省吾「100歳までは、新国劇の演目でひとり芝居をやる。内館さん、そこでだ。101歳のひとり芝居、新作を書いてくれないか」

島田 正吾(しまだ しょうご、本名;服部 喜久太郎<はっとり きくたろう>、1905年12月13日 - 2004年11月26日)は、新国劇俳優

1923年新国劇に入る。「新国劇」は「新旧両派歌舞伎劇を越える新しい日本の劇」を標榜した。歌舞伎と新劇との中間をいく新しい国民演劇の創造を目ざして結成した、剣劇と大衆劇が中心の劇団である。1987年に解散。

恩師・沢田正二郎の急逝後、「動の辰巳、静の島田」と好対照のライバル辰巳柳太郎と協力して新国劇をもりたてた。天衣無縫で豪放な芸風の同年生まれの辰巳とは、ゴルフでも武蔵島田と辰巳小次郎と、ライバルでかつ親友だった。

新国劇で育った俳優の緒形拳が主役の芝居をみたことがある。その時、最後に島田省吾が挨拶に立った姿を私も見た記憶がある。芝居について、「厳しいですね。厳しさにチャレンジするのが子供みたいに楽しいです」と島田は楽しそうに「あの人に会いたい」の映像で語っている姿も今回見た。

盟友辰巳の1989年の死後、島田は1991年から「一人芝居」を上演する。85歳であった。「白野弁十郎」以下、年1作づつ11年間、96歳まで続ける。自他共に認めるライフワークで「100歳まで続ける」と公言していた。1994年には『十時半睡事件帖』で主演する。日本のテレビドラマ主演俳優の最高齢記録も樹立し、話題になった。

冒頭の「100歳、101歳」は、NHK朝の連続ドラマ『ひらり』で女性主人公の祖父役で出演して縁があった脚本家・内館牧子に2001年頃に語った言葉である。2002年5月には内館に「やるよ!101歳のシェークスピア!」と声をかけている。この言葉とエピソードは、2004年11月29日発刊の『随筆 ひとり芝居』の最後に、内館牧子が書いた「あとがき」にある。島田省吾が亡くなったのがその3日前の26日であった。享年98と少し届かなかった。晩年に得た「ひとり芝居」というライフワークを100歳という目標を持って続けた島田省吾の役者人生も見事なものだ。

 

随筆 ひとり芝居

随筆 ひとり芝居