朝から夜まで:学部授業。事務局ミーティング。「名言との対話」で樋口先生との対談録画。大学院授業。

10時40分:学部授業「立志人物伝」。エニアグラムと適職。パワーポイントでの図解の描き方。

12時15分:ラウンジで杉田学部長。樋口先生、飯田先生、、。

13時:事務局との定例ミーティング

14時40分:T-Studioで樋口先生の座右の銘を巡って「名言との対話」の録画。

18時:品川キャンパス:滝川課長から大学院入試の状況を聞く。

18時半:大学院授業「立志人物論」の7回目。本日のテーマは「日本への回帰」。

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以下、日本人受講生。

・外国の文化等に影響は受けるが、日本の良さを認識し、日本へと戻ってくること。坂口謹一郎、三輪壽雪、隅谷正峯、山下文男、辰濃和男加藤周一呉清源市川健夫、磯田一郎...今回の講義まで名を知らぬ人たちですが、日本を見つめ、日本で地に足をつけ、それぞれの分野を極めようとした尊敬すべき人たち。東芝西田厚聰は日本で足腰を固めることを軽視したため、「平成のスター経営者」から「名門崩壊を導いた戦犯」になってしまったのだと感じました。そして、第二次世界大戦時の日本への失望から、日露戦争までの良き日本を題材に数々の名作を執筆した司馬遼太郎。世界を探検して歩き、読みやすいひらがなでオリジナルを書くことにこだわった梅棹忠夫。海外へ旅に出ることで、日本の奥深さを再認識し、日本の風景画を生涯にわたって描きつづけた東山魁夷。徹底したフィールドワークで日本全国を歩き、日本人の文化的アイデンティティの拠り所を再確認した柳田國男。皆、日本のすばらしさを認識し、心身とも日本に回帰して、それぞれの分野で日本を表現した偉人です。ひるがえって自分はどうであろうか。海外へは数える程しかいったことはありませんが、海外へ行くと日本の良さを身に染みて感じます。外国の空気や食べ物に違和感があり、ホーム&アウェイではアウェイが不利、ということを痛感します。日本人であれば日本に回帰するのは自然なことであるとも感じます。40歳にして小さな人間である、と自己嫌悪に陥ることもありますが、東山魁夷は遅くして世に出た。柳田國男が本格的に学問を始めたのは44歳。40歳の自分であっても、まだまだ可能性はある、落ちこむ必要はないと、未来に希望を抱くことができました。年内の講義は本日で最後。立志人物伝で学んだことを活用し、来年は飛躍の年にすることをここで誓います。

・今回の授業テーマは「日本への回帰」です。古くは中国から、明治維新後は欧米の文化に遅れないように新しい文化をいち早く取り入れてきました。一方的になり過ぎると、逆の方向にゆり戻しがあるのは必然のようです。講義の前半は、日本人にとっても馴染みのない人物でした。坂口謹一郎、酒の博士と歌人という組み合わせで、しかも高齢になってから取り組んだということでなんともユニークな人です。酒を嗜む者として神田の和泉屋には是非行ってみたいものです。三輪壽雪、陶芸家も今まで聞いたこともありませんでした。30年の修行期間を経て45歳からの活動は遅いと思いますが、100歳を超える人生では十分に時間があったと思います。隅谷正峯、日本刀の大御所ということで初めての名前でした。人間国宝なので、すごいというほかありません。山下文男、日本の津波災害史研究家だそうですが、まったく知りませんでした。次に辰濃和男朝日新聞天声人語のコラムニスト、何処で聞いたような名前ですが、文章には定評があるようです。さらに、加藤周一平凡社の百貨辞典の編集者ということでこちらも未知の人でした。呉清源、ようやく知った名前がでてきました。囲碁はヘボですが、少しは嗜むので呉清源は知っています。私の年齢では門下の林海峰が有名です。たしか、藤沢秀行が強かったです。市川健夫、稀代のフィールドワーカーですが、残念ながら名前を知りません。磯田一郎、元住友銀行頭取ですが、偉業というよりイトマン事件のほうが有名です。当時は許永中の報道でマスコミを賑わせていました。西田厚聡、元東芝社長、イランビジネスや原子力WH社買収の失敗など負の面で名前が出て来たのは残念です。ここから、授業の後半ですが、やっと日本人なら誰でも知っている司馬遼太郎梅棹忠夫東山魁夷柳田國男が題材で出てきました。ここでは、司馬遼太郎のことを考えておきます。あの悲惨な戦争をなぜしなければならなかったのか、良識ある日本のトップがいなかったのか、司馬遼太郎は歴史の真実を小説を通して伝えたかったに違いありません。今、考えてみれば誰でもわかることをあの時代では見過ごしてしまったのです。一部の人の良識の欠如により思い込みと過信で間違った方向に動いてしまったこと、そして「もっと ちゃんと 考えな あかんで」、ほんとうに深い意味のある言葉です。何事も真摯に取り組むこと大事です。心に深く浸透してくるような気がします。もう一度、司馬遼太郎の作品を読み返してみる価値はありそうです。

・日本はその時代時代の先進国から柔軟に学び、一見すると自分がないようだが、外国に学ぶとその後また日本に回帰するというサイクルを持っている。日本回帰の文脈で、司馬遼太郎梅棹忠夫東山魁夷柳田國男の4名の人物をご紹介頂いた。知名度の高い方々だが、あまり知識がなく、どの方についてもわたしには新鮮なお話だった。その中で、司馬遼太郎空海の風景の紹介があった。私は空海が好きなので今日は紹介頂いた人物から離れてしまうが、日本回帰の文脈で空海について書く。空海は日本に密教を持ち込んだ真言宗の開祖として知られている。奈良から平安に遷都があった平安時代に活躍した。単なる宗教家ではなく、農業用水のための溜池の難工事を成功させたり、弘法にも筆の誤りと今にも残る諺があるように書の達人だったり、マルチな才能を持った天才だ。中国に留学し、当時最先端の密教を日本に持ち帰るが、単に持ち帰るだけでなく、密教の正当な伝承者と認められたという事実からも天才ぶりが伺える。海外から持ち込んだものを柔軟に日本の文化に取り込み日本化するという意味で、理想の日本流モデルを示している人物であり、空海は日本回帰というテーマにふさわしい。司馬遼太郎が残した歴史小説で扱ったテーマでもっとも古い時代の人物が空海だということは知らなかったが、司馬遼太郎にとって日本の歴史を空海から描くことに意味があったのではないかと感じられた。ご紹介頂いた4名の方は、それぞれ深く知りたい魅力的な人物で、今後、著書を読んだり、鑑賞したり、時間をかけて消化していきたい人物ばかりだった。

・日本への回帰が今回のテーマでした。司馬遼太郎からは、今回のテーマ通り、日本回帰の想いを強く感じることができました。やはり、日本人の心の中には司馬遼太郎の世界観が色濃く残っているのだなと思いました。司馬遼太郎の作品は、「龍馬がゆく」、「坂の上の雲」の2作品を読みました。特に私の中で印象深い作品は、「坂の上の雲」です。この作品は映像化(本木雅弘阿部寛の主演)もされているため、小説を読む時間がない方にはオススメです。明治時代からの勃興を描く本作品は、連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之と、その兄で日本騎兵の父となる秋山好古の2人、秋山兄弟に焦点を当てた作品です。強国ロシアとの戦力差を冷静に分析するその謙虚さ及びその勤勉さは、今の時代でも当然必要な姿勢だと思います。文中でも、当時の人の勤勉さ、猛烈な勉強風景について、いくつか描写がありました。国を背負って立つ使命感と覚悟の表れをひしひしと感じました。私もいつかこの人物たちのような気概を持って仕事をしたいです。そして、もう一人講義の中で印象に残った人物がいます。市川建夫です。人文地理学者とありますが、初めて耳にする人物でした。ただ、この方の徹底したフィールドワークに対する姿勢はとても参考になりました。文字になっていない事実を発見し、それを文字にすることに生涯をかけたとあります。それを実行するためのフィールドワーク。だからこそ、フィールドワークに裏打ちされた理論は強い。素直に納得がいきます。この考え方を仕事にも当てはめ実践していきたいと感じました。

 

以下、留学生。

・今日は日本への回帰がテーマで、偉人を紹介いただきました。授業で 東山魁夷の絵を見って、なかの凛とした空気感が、まるでその事実を伝えるようです。東山魁夷が中国でも有名で、「黄山暁雲」という絵で千変万化する山の姿を鮮やかに描き出した。黄山を「充実した無の世界」と表現しました。それに、彼のエッセイ「一枚の葉」は、2002年北京大学入学試験のテキストだったそうです。短いから、そのエッセイをみって見ました。東山魁夷は人間の生命を葉と関連付けて、「無常と流転」と「自分の人生を大切にして、他人の人生も大切にする」という価値観を伝えました。とても感動しました。司馬遼太郎は日本の方だれでも知っているぐらい有名ですが、まだ彼の本を読むことはなかった。一冊でも読んで見たいです。

・人物、司馬遼太郎、本名は福田定一。日本を代表する有名な小説家です。戦国や幕末といった時代を背景とした歴史小説が圧倒的に多い、『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』『関ヶ原』などの代表作があります。司馬遼太郎は歴史研究家ではなく、小説家なので、作品の内容全てが史実と完全に一致している訳ではないです。事実を考えながら小説を読むことも勉強の一つです。日本人の考え方と、日本の歴史をもっと了解するために、『坂の上の雲』を読んでみたいです。もう一つは図解の考え方です。文章を図で考えると、内容とは図解です。修士論文を書く時に、まずは図解で筋を出して、内容も書きやすくなっていきます。自分の人生を図で分析すると、自分の長所、短所、趣味、志向が見つかって、将来の就職などにも役立てると思います。非常に勉強になりました。ありがとうございました。

・今回は「日本への回帰」をテーマにして、諸偉人の事を勉強しました。これまで「和魂漢才」と「和魂洋才」で生きてきた日本人。グローバル化が急速に進む中で、日本人はあらためて「日本文明とは何か」「日本人とは何か」を問われています。これからの時代を生き抜くために、日本人に求められる教養とは何か、日本人の教養を探求します。今回のテーマは、外国人の私に対して、凄く理解し難いです。「日本の良いところ・悪いところは何ですか?」と聞かれてどのくらいの日本人がはっきり答えられるのでしょうか?テレビなどの街頭インタビューで訪日外国人が同じような質問を受けた時、次々に出てくるコメントを聞いて「なるほど!!」と思ったことが一度はあると思います。『グローバル職人になろう!』(山根英樹著)という書から、日本に在住する外国人が挙げる「日本(または日本人)の強み・弱み」についてまとめてみました。◆日本の強み・食事がおいしい。・完璧を追及するところ。・何事も常に相手にとって何が喜ばれるか考えて行動するおもてなしの勢。・仕事に対し一生懸命に取り組むこと。・日本製品の質の良さ。・災害などの大きな問題を乗り越えていけること。・環境適応能力があること。・治安が良い。・計画に基づく確実な実行力と継続力。◆日本の弱み・説明する時に回りくどい言い方をする時があるなど複雑にしてしまうこと。・閉鎖的なところがあること。・英語が苦手なところ。・融通が利かないところ。・はっきりと言ってくれない。・会話を中断することに遠慮しているのか、わからなくても流れのまま頷いてしまう。・誰もに完璧を求める傾向。できて当たり前という考え方。・ひとつのことに時間をかけすぎる。・伝統的なものが失われつつあること。他国からの視点による外国の人々からの指摘を参考にすると日本の特色を認識することができます。強みはさらに伸ばし、弱みは改善することできればより魅力的な日本になると思います。 日本の強みの1つとして「豊かなアイデア」を加えたいと思います。文具や生活グッズの種類の豊富さはどこにも負けないのではないでしょうか。日本人はゼロから製品を生み出すというより、既存のものにアイデアを加えて改良することが得意だといわれています。これは日本の強みや弱みが混じり合った結果といえるかもしれません。日本は欧米のような他人と同じことを避ける文化ではないのでゼロからの大胆な発明はあまりしないけれども、完璧を求めたり、目新しいもの、より便利で良いものを求める結果、多くのアイデア商品が生み出されるのだと思うのです。

・強く印象に残った人物は司馬遼太郎です。学校が嫌いで、図書館と本屋さえあれば人間はそれでいいと考えていた司馬遼太郎は、中国人と朝鮮人が好きでした。好きになった理由は、「彼らは非常に人間というものを感じさせた」からでした。そして、司馬遼太郎にとって、中国と戦争をしている日本が嫌いであるという感じになりました。しかし、それは実際は日本も大好きという感情の裏返しだと言われました。敗戦で日本史に対して感心をもって、小説執筆するようになりました。司馬遼太郎の日本の歴史小説が与えた影響は大きいと思われています。今日の講義で司馬遼太郎の作品は「空海の風景」を知っていたので、ぜひ 読んでみたいと思います。

・今回は2018年の最後の授業。久恒先生の志の講座で楽しく勉強します、時間は速くて、秋学期は間もなく終わって、志の第1回䛁座に参加する前,志の深い意味を理解できなかった。ただ先生の講座を追求しただけだ、7回目の日本復帰テーマの誌講座が終わった後で、人生といい、企業にしても、きっと不可欠なものだと分かった。志、信念、簡単に例を挙げば,一人で歩いて行って、肉体の組織、食糧を食べて行動することができて、最もは精神意志,所謂元気こそ。昨日、私は倒産するけちな親戚と話しました。彼は成功しったし、他の人には及ばない資源を持っていました。しかし、本当の信仰に欠けているのです。ただなんてもうお金だけ考えた。结局失敗しました。あの頑固な独りよがりの企業家は、一日ぶりに私に言って、確かに失敗したのは、自分の人生の信仰に欠けているん。7回の異なった緯度志の講座の学習によって、日本の歴史や、日本の経済的な政治の歴史を大前進させた大人物と彼らが他人を守って、日本を守ってる精神に感動しました。だから、日本が戦後数十年で急速に強国になる理由は、これらの先駆者の志と日本を守っている情熱ことが分かりました。それは世界で外国人皆様が解ける答えこそ。先生、ご講座ありがとうございました。図解の方法教えて頂きまして、思想カを高まれて、残ったほかの授業に癸表する時非常に高い役だ。就職起業および人生の道もう明らかに考えられる。志の授業を受けて、これから自分の思想,行動,欲望,目的,などのkeyword と会って時もう迷わない。

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「名言との対話」12月14日。木暮剛平「良い句に接したり句作に耽っているとやすらぎを覚え、いつしか俳句は私の心のオアシスとなっていました」

木暮 剛平(こぐれ ごうへい、1924年9月19日 - 2008年12月14日)は、電通社長・会長。

電通でアルバイト中に社長吉田秀雄にみとめられ,昭和22年入社しトップに上り詰める。社外での活動も活発だった。日本広告業協会理事長・日本広告業協会会長として広告代理店業界の発展に尽力した。 経済同友会副代表幹事、経済団体連合会理事、東京商工会議所議員などを歴任。 通商産業省(現在の経済産業省情報処理振興審議会会長として行政運営の円滑化にも手腕を発揮した。

以上、経営手腕は疑いないが、ここでは電通の役員で激務であった中、「五十の手習い」で始めた「俳句」に焦点をあてる。 師の沢木欣一は、木暮の句を「平常心の俳句」としている。

「笛吹いて涼し壁画の飛天仏」にちなんで、15年間にわたる句をまとめた句集を『飛天』と名付けた句集を読んだ。以下、この句集で感銘を受けた句をあげる。

葉桜の母校神父の老いゐたり 桐咲くや母のおはさぬ奥座敷 天平の大屋根越ゆる秋の蝶 夕焼けや西に傾く宿場町  青き串木の芽田楽貫けり  

緋の裏の外套を脱ぐ老父かな  河豚刺しの味無き味を好みけり  朝ごとに竹を踏みつつ春半ば  総理より太き下仁田葱届く 

雪解川溢るる茂吉生家かな  戦場の肩の疼きや根深汁  古稀の師の能登の話や夏座敷 古地図買ふセーヌの初夏の古本屋  石で打つ洗濯春の信度河  宍道湖の舟傾けて蜆採る  

床高きマレーの家の夏座敷  啓蟄の石もて棺の釘を打つ  柚子風呂の少し早めに焚かれけり  ゴルビーの温き握手や春の宴  葬壇にボートのオール飾りたる  菜根譚拾ひ読みして秋の旅  

婚の日に続く葬の日枇杷の花  社長職辞せし夕や風薫る  萩一枝活けし書斎や古稀迎ふ  着ぶくれてセーヌの河畔の古本屋  大年の紅白知らぬ歌ばかり  男坂女坂あり初詣  

木暮剛平本人が言うように「さりげない市井の生きざまに句趣をうることが多い」との発言はうなずける。句作することは、はまさに「生ける証し、生活の記録」であり、心のオアシスであったのだ。

 

飛天―句集

飛天―句集