大学院教授会。インターゼミ最終発表会。

品川:大学院教授会。

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九段:インターゼミ(社会工学研究会)の最終発表会。

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以下、学長コメントから。

サービス・・エンタメ班:2000年頃、百貨店からショッピングモールへ。時間消費、車社会、、、。多摩には国際ブランドの観光地があるか、サンリオ、アニメ、、。

AI班:ポテンシャル。障害者・高齢者の補完。血液分析、100人の専門医のノウハウ、15分。「ホモ・デウス」のいう無用者階級。人間中心主義への疑問。人間は何をやるのか。

地域班:定住と交流。関係人口を増やしていく。物語が要る、定期・安定・成功体験、受け皿、システム。社会的投資研究所でソーシャルキャピタルファンド、、。

多摩学班:リバースモーゲッジにもリスク。「無子・高齢化」。団塊ジュニアには子供は生まれなかった、貧困化、未来への不安。40代の高齢化が問題、資産形成なし。都市郊外型高齢化が問題。異様な個人主義、私生活主義、社会に無関心、無宗教団塊世代、工業社会の人、、

アジア・ダイナミズム班:モンゴルという目線から世界史を見る。広い視角。長期、広域、非ヨーロッパ。聖と俗。宗教を許容、多様性。紙幣の発明(フビライ)、権力と権威。ソ連の弾圧、ソ連崩壊で日本に接近(相撲、、)、中露に接近中。

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「名言との対話」12月15日。小宮山正九郎「「喫茶店」ではなく「喫茶室」」

小宮山 正九郎 (こみやま・しょうくろう 1920年10月22日〜2013年12月15日)は銀座ルノアール 創業者・社長

株式会社銀座ルノアール東京都神奈川県を中心に「喫茶室ルノアール」などの喫茶店チェーン展開する会社である。

小宮山が戦後、復員する時に持ち帰った砂糖が高く売れ、その資金を元手にせんべい屋を始める。そして喫茶事業を開始する。その時つけた名前が「ルノアール」だ。

出店戦略は、兵隊時代の迫撃砲がヒントになっている。数多く撃つことで、その地域をせん滅させる、というもやり方だ。同一地域にいくつも出店し、店舗の多用化や、貸会議室の提供といった工夫で、差別化をした。貸会議室は利益率自体は小さいが、早く来た人がお茶を注文したり、会議後に話し足りない人が場所を変えてお茶をするなどして利益があがるというしかけだ。

ルノアールの特徴ともいうべきロビー風喫茶室のスタイルは、「絨毯に金をかけすぎて資金不足となり、苦し紛れに椅子をまばらに配置したところ意外と客に好評だったため始めた」ことがきっかけだった。怪我の功名のヒットだった。

1964年10月、日本橋に第1号店を開店、1971年2月、有限会社銀座ルノアールを設立。1983年には、100店舗の出店を達成。2018年3月の決算報告では、資 本金7億7千1百万円。従業員数正社員241名、 契約社員1,617名。店舗数は120店舗(内2FC店舗)となってりる。

コーヒーを飲みに行くのではなく、あくまで何かを行う場所という意味が「喫茶室」という名前に込められている。私が1980年からかかわっているNPO法人知的生産の技術研究会のスタッフ会議は、ほとんどの場合は都内の喫茶室ルノアールだった。ゆったりとしたスペースでくつろぎながら仲間と企画を練ったことを思い出す。今でも、ルノアールの看板を見かけると懐かしい気持ちが湧き上がってくる。「オヤジのオアシス」と言われているのはうなずける気がする。今でも同世代の友人と待ち合わせると、「懐かしいなあ」と青春時代を思い出す人が多い。当時は気が付かなったが、ルノアールは喫茶店ではなく、「喫茶室」という考え方だったのだ。やはり事業においてはコンセプトが大事だ。