昭島市まちづくり企業サミットでコーディネーター役。

昭島市まちづくり企業サミットでコーディネーターをつとめた。

国連アジア極東犯罪防止研究所の国際会議場A。

臼井市長。木崎市議会議長。昭島観光まちづくり協会。国連アジア極東犯罪防止研修所。

パネリスト:昭島市商工会。公益財団法人アジア刑政財団。(株)IHI。(株)エコス。昭和飛行機(株)。(株)タチエス。東京グリコ乳業(株)。日本航空電子工業(株)。日本電子(株)。フォスター電機(株)。フランスベッド(株)。HOYA(株)。

第一部「企業が目指す姿と昭島市のまちづくり」--官民が連携する昭島市のまちづくり。

第二部:意見交換「今後の市や地域社会の関わり。地域防災力。職員の人事交流」

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私のコメント。官民が連携したまちづくり

勝海舟「内でケンカをしているからわからないのだ。一つ外から見てごらんネ。直にわかるよ」

西本幸雄「いわしも大群となると力が出る。みんなが心底から力を合わせることによって、何かが可能になるんや」

川上哲治「中途半端だと愚痴がでる。いい加減だと言い訳がでる・真剣にやれば知恵がでる」

まとめの私のコメント。

・後藤慶太「ものごとは大きく考えること。おじけづいていては成功しない」

井上靖「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」

佐藤栄作「問題は何といっても一つ一つ対策を立てて実効あらしめること、議論ではない」

ゲーテ「仲間が仕事をつくるのではない。仕事が仲間をつくる」

出光佐三「愚痴をやめよ。ただちに建設にかかれ」


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国連アジア刑政財団会長の堺屋太一会長。

・明治は強い日本。戦後は豊かな日本。新しい日本は楽しい日本。多様性、意外性。

・2025年の大阪万博。プロジェクトを建てよ。昭和の森にパビリオン。

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昭和館での懇親会。

堺屋太一先生とはJAL広報部時代に韓国ソウルでの文化講演会でご一緒して以来。

・私の締めの挨拶「昭島は多摩の一部。多摩とは多摩川流域と相模川流域の挟まれた地域。昭島は多摩大の領土。5年前の官・学・金、から本日で産と民(議会)が加わった。大いなる多摩へ!」
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「名言との対話」12月17日。南博「日本人ほど自らの国民性を論じることを好むl国民は他にない」

 
1954年

南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本社会心理学者。

医師であった父親の希望により医師を志すが、激務に恐れをなし東京帝国大学医学部を中退。京都帝国大学文学部哲学科卒。1943年にアメリカのコーネル大学で博士号を取得。終戦後帰国し日本女子大学教授。一橋大学教授。成城大学教授。

アメリ社会心理学を日本に導入し、国民性から大衆文化まで様々な社会現象の背景にある心理を解き明かし「日本人論」ブームをリードした人。また、伝統芸能や映画、テレビ番組においても幅広く活躍した。フラストレーションの訳語に欲求不満という言葉をあてた。この言葉は当時話題になり、今では普通名詞になっている。

父から「勉強しすぎて死んだ奴はいない」と教えを受けたといわれ、勉強も仕事にも熱心で、生涯無休だった。亡くなる直前まで口述筆記で著書を遺した。

大学のゼミ出身者は、高野悦子加藤秀俊、辰野和男、山本コウタロウ、杉山隆男石原慎太郎、太田弘子、など実に多彩だ。

南博の日本人について書かれた書物は何冊か読んでいる。1994年に80歳で集大成として書いた『日本人論』は、代表的著作500点を総覧した大著だ。千数百点にのぼる国民性に関する論著の中から,代表的だと考えるものを選び,明治期80強,大正期約30,昭和戦前期約100,占領期30強,現代(一)約70,現代(二)約130点について歴史的に位置づけ,簡潔な紹介が付されている。日本人の生活・文化・心理についてさまざまな角度から考察した。日本人の自意識の近代史である。この本は手に入れなくてはならない。

「日本人ほど自らの国民性を論じることを好むl国民は他にない」という名言は、頭に残っていたが、これは「日本人学」の構築をライフワークとした南博の言葉だったのだ。 

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)