午前:大学で事務処理。
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午後:九段の文庫で企業幹部と学長を訪問。
トランプ政権の内情。ビッグダディメンタリティ。ロシア疑惑。訴追。上院議員。空気が変わった。キーマンが不明。ケネディ大使がボーイングの役員。変数が多い。異次元高齢化。退職者ソサイアティAERP。dispute aging ジェロントロジー研究。DNA。、、
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夜:野田先生を囲む会。多摩大、宮城大、知研を中心とした若い人の会。柳名誉教授、日経の中沢編集委員も。
高橋茂人さんの名インタビューで創業型経営者の人物論がよかった。「ドラッカー。松下幸之助。本田宗一郎。城山三郎。堤清二。小林陽太郎。大前研一。孫正義。南部。沢田。堀、、」。
最後の挨拶は私が指名されたので、「志」をテーマに話をする。鬼塚喜八郎、浪越徳治郎、村上信夫、塚本幸一、笹崎龍雄、、、、。
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「名言との対話」12月20日。青島幸夫「才能はみんな同じなのに、やらないだけですよ。気力の問題ですね。ボクは才能は傑出していないが、ウヌボレだけは人一倍です」
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の作家、作詞家、タレント、俳優、放送作家、映画監督、政治家。
映画監督・主演の『鏡』でカンヌ映画祭で批評家賞を受賞。
テレビの放送作家として流行語を大量につくる。「お呼びでない。あ、そう、失礼しやした」「ハイそれまでョ」「カッコいい」、、。
タレントとしては「青島だァ!」が印象に残る。
作詞では植木等の「スーダラ節」が大ヒット。「チョイと一杯のつもりで呑んで、、」
政治家にもなる。1968年参院選全国区で2位。ライバル視していた同年の石原慎太郎がトップ当選。佐藤総理への「財界の男メカケ」発言、中曽根内閣全閣僚への「あんたらは全員アホだ」発言、、。田中角栄は「いまの若手議員の中で見込みがあるのは、河野洋平と青島幸雄」と言っていた。1974年には「カネ0円、選挙運動なし」で海外で過ごし当選。
作家としては初の小説『人間万事塞翁が丙午』で狙いどおり1981年の直木賞をとった。
1999年には東京都知事選に出馬し、組織選挙を戦った石原信雄を破って都知事に就任。
娘は死に方も父らしく「おしまいチャンチャン」と、木くずを振り払うようにさっさと死んでしまったと語っている。
以下、青島の言葉から。
・面白がってやっているヤツと、苦労してやっているヤツと、どっちが勝つかな。やっぱりさ、面白がってやっているヤツにはかなわないんだよ。
・自分の得意に、邁進しろ!
・オレはね、何か選択するときは厳しい方を選ぶ。だって、そっちの方が面白そうなことが待ってそうだもん。
・明日があるさ明日がある 若い僕には明日がある いつかきっといつかきっとわかってくれるだろう 明日がある 明日がある 明日があるさ(作詞。歌は坂本九)
子供の頃から親に「ほら吹き」と呆れられたという。都庁の建築現場を見た時には、「あそこで仕事をするようになるんだ」と思った。1960年当時、「僕は、運転免許を取って、美容師の免許を取って、映画も撮って、主演もし、作詞作曲をして、直木賞を取り、国会議員になる」と豪語して、植木等からも正気を疑われる。しかし、8年後までにすべて実現することになった。石原慎太郎から才人と言われた青島幸雄は、人からは「ほら吹き」と呼ばれ、自身は「ウヌボレ」を自覚しながら、そういう自分を面白がって明日に向かって邁進したのだ。ウヌボレほど大事なものはない。