「タウンマガジンなかつ」。「邪馬台」。

「タウンマガジン なかつ」2019年1月号。

11月11日に行なった中津での大分県高等学校PTA連合会での講演の記事が載っている。400名が聴いたとのこと。

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「邪馬台」2018年冬号。209号。

「読書悠々」で、「戦後立志人物伝」を投稿。

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帰省路や

かん酒熱し

去年今年

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「名言の対話」12月24日。三船敏郎「私は日本と日本人のためにこれからも正しい日本人が描かれるよう断固戦っていく」

三船 敏郎(みふね としろう、1920年4月1日 - 1997年12月24日)は、日本俳優映画監督映画プロデューサー

1946年(昭和21)東宝第一期ニュー・フェイス募集で採用されて入社、翌年『銀嶺(ぎんれい)の果て』でデビューした。1948年黒澤明に認められ『酔いどれ天使』の主役に起用され、豪快な演技力をみせて一躍スターの座を獲得。以後『静かなる決闘』『野良犬』『羅生門(らしょうもん)』『七人の侍』『用心棒』などの黒澤作品に個性豊かな演技を発揮した。1962年には三船プロを設立。また『価値ある男』『レッド・サン』『1941』などの海外作品にも出演、国際的な活躍をみせた。そのほかに『蜘蛛巣城』『無法松の一生』『椿(つばき)三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『日本のいちばん長い日』『千利休(せんのりきゅう) 本覺坊遺文(ほんがくぼういぶん)』など。

「俳優は人間の屑ではない。人間の宝石が俳優になるのだ。何故なら神なくして人間を創造するには、人間の屑では出来ないはずだ」

「三船無くして黒澤無し」と言われるほど黒澤作品には欠かせない存在であった。三船は150本の映像作品に登場したが、黒澤監督作品は16作である。監督と俳優ではなく、エンジンと車体みたいな関係だったという人もいる。殺陣の腕前に関しては、黒澤をして「殺陣のオリンピックがあれば金メダルがある」と言わしめるほどであった。酒量が多いとあばれる三船と乱れない黒澤は対照的だった。

「自分の個性をあくまで生かして、その役に成り切る。そこには非常な努力を要する。自己完成という事が大切である」は、若い頃に記したノートに書いたら俳優の心がけである。改めて三船主演の黒澤映画を数本観て、三船敏郎は「正しい日本人」を演じようとしたという言葉に深く納得した。

 

サムライ 評伝 三船敏郎 (文春文庫)

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