誕生日。娘と息子といい時間。「平成命日編」の原稿チェックが終了。『致知2月号』からの収穫。

名言の「平成命日編」の原稿チェックを年末の29日からやっており、本日366件の原稿チェックが終了した。膨大な量なので毎日1ヶ月分と計画したのだが、だんだん欲がでて6日間しかかからなかった。

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今日の夜は、大人になった娘と息子と久しぶりに話をする機会があった。主に食生活を中心とした環境問題について、若い人の意見やスタイルを聞いた。いい時間だった。

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本日は誕生日。心を新たにして昨日立てた計画の実現に挑んでいきたい。

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今日の収穫。『致知2月号』

・100円ショップ「大創」の創業者・矢野博丈「人と違った商売をしたこと。、、私は百円コインでお店をつくった」。ダイソーは国内3300、海外36カ国2000店舗。従業員は2万人、売上高は4500億円。

・iPS細胞で網膜再生医療を成功させた理化学研究所高橋政代。2014年加齢黄斑変性患者にiPS細胞から分化した細胞の移植手術を世界で初めて成功させた。「情報はグレーで集める」「専門領域が二つあるといい」。

菊姫杜氏だった農口尚彦「若い人と一緒に、朝4時半に起きて仕事をしています」。菊姫大吟醸JALのファーストクラスに搭載されたエピソードも。

片岡鶴太郎「君の志は?から、最近は君の夢は?に変わってしまった」

佐藤一斎論。『言志録』は42歳から53歳。『言志後録』は57歳から66歳。『言志晩録』は67歳から78歳。『言志耄碌』は80歳から82歳。

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「名言との対話」1月3日。宮崎勇「人間が経済政策の主人公である」

宮崎 勇(みやざき いさむ、1923年10月28日 - 2016年1月3日)は、日本経済企画官僚エコノミスト 経済企画庁事務次官経済企画庁長官を歴任した。

経済問題に取り組む志を旧制中学時代に持つ。早くから「経世済民」としての経済に関心を持った。経済学部で学び、経済安定本部に入る。戦後の経済復興計画に参加。国民所得倍増計画」の総論を執筆した実質的責任者となった。「経済白書」の執筆責任者を経験した。そして「誰よりも日本経済を愛する」ようになった戦後の官庁エコノミストの草分けである。

1975年に書いた『人間の顔をした経済政策』で吉野作造賞を受賞。この本は話題になり、私も読んだ。40数年ぶりに今回改めて読んでみた。経済官僚は、政治の現場監督のもとで働く大工や左官、計数屋、現場職人と自称している宮崎の主張は以下の通り。

自助努力を前提として恵まれざる少数者の最大幸福を保障するのが先進国の責務である。そして、平和と完全雇用という土台を継承した上で、人間の基本的な自由や公正を満足させるような時代をつくりあげる経済政策は、人間の顔をした、新しい文芸復興(ルネッサンス)をめざす経済政策である。政治は政策目標を決める、行政は計画と実施を担当する、学者は政策メニューと政策手段の最も望ましい組み合わせを行政に提示する。こういう関係が望ましい。平和・安定・公平と効率・国際協調が、今後の経済政策の課題である。人間が経済政策の主人公である。

1984年には『陽はまた昇る-経済力の活用と国際的な貢献』で、石橋湛山賞を受賞した。その後、日本経済は予言通り短い絶頂期を迎える。そしてバブルが崩壊した後の1995年8月から翌年の1月まで自社さ連立政権の村山改造内閣経済企画庁長官を務めた。

「人間の顔をした経済政策」を提言した宮崎勇は、「21世紀の技術は、人間を従属させるものでなく、人間に従属したものでなければならない」と「技術」についても「人間」を強調している。格差が広がった現在、この「人間の顔をした」というキーワードは、経済、労働、技術、政治、教育、、など、あらゆる分野で、ますます重要になってきたと思う。

人間の顔をした経済政策 (1977年) (中公叢書)

人間の顔をした経済政策 (1977年) (中公叢書)