京西テクノス株式会社を見学ーメンテナンス業への業態転換。スピード成長。IOT。グローバルトップニッチ企業。利益率10%へ。オープンな人事方針。コミュニケーション重視。

多摩信金の長島部長の引率で、多摩市愛宕の京西テクノス株式会社を訪問。

多摩大からは、杉田先生、小林先生、松本先生、高野キャリア支援課長と私。玄関にはウェルカムボードあり。

メンテナンス業への業態転換。スピード成長。IOT。グローバルトップニッチ企業。利益率10%。オープンな人事方針。コミュニケーション重視。、、、、

時代をたくましく乗り切ろうとしている企業の息吹を浴びた。こういう素晴らしい企業をもっと発掘して学生を送り込みたいものだ。

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臼井努社長から丁寧に会社説明をいただく。

・50年間電機関係の部品の受託をやってきた。中国の台頭などでコストダウンの要請がつよくなり、20年ほど前から安さを求められるモノづくりからスピードに要請があるメンテナンスに重点を移した。モノは必ず故障する。単価も高い。この方針で売上高と利益のアップをはかってきた。

・多摩には横河、HP、GEなどのメーカーが多い。医療・計測。ITのメンテナンス企業として全国に10か所の地方拠点。300名のエンジニア。サポートセンターのエンジニアはリモートメンテでの問題解決と現地に駆けつけての解析・修理。どのメーカーの製品でも対応するマルチベンダーサービス業。

外資などから仕事と人員がまるごと転籍してくる。メンテがテーマだといろいろな勉強ができる。メーカーは製品の供給やサービスを打ち切ってしまうので、古い装置もメンテの対象としている。

・日本にいながらのグローバル化に挑んでいる。一つは、IOTによるリモート監視ソリューション。ネットを介してプログラムの書き直しも。海外の現場でトラブルが発生する原因の温度・湿度・電源・水温などを監視。ホテルの風呂の混雑具合をみる人感センサー。装置とサービスの提供。もう一つは、24時間空港の関西国際空港にFEDEXと組み保税工場を設けてそこで保税状態のまま修理し海外に届けるという事業。

・電機機器具の修理業の規模。業界は1兆3700億円。8710社。85000人。4分の3は9人以下の零細。当社は2001年に7.5億円の売り上げだったが、ほぼ毎年増収で今年は80億に達するだろう。成長のスピードは速い。大手電機の計測器部門を買収(75名)を機会に新社屋を建設中。2025年には500名の社員で100億の売り上げ、10億の利益を出したい。そして一部上場大企業並みの給料を出す。1人1時間1万円。給与は役職別にオープンにしている。社員には一生働いてもらいたい。風土、教育、コミュニケーション、外部との接触、、、。今年は8名を採用。スタッフ職の充実に向けて文系も必要。メンテナンスはコミュニケーション業。社内のヨコの連携が大事であり、全員で餅つき大会、経団連会館での研修、牛肉フェス、マグロ解体などのイベントも行っている。

・グローバルトップニッチ企業。個人の目標設定と実績の評価。メーカー系サービス部門のソリューションサービスがライバルだが、コストや柔軟性で負けない。モノは必ず劣化する。ロボット、メガソーラ、医療機器、、。お客さんだった企業のマネジメント層も面白そうだと転職してくる。新卒という原石も磨いていく。

・上場はしない。スピードが必要。自由度が大事。将来は所有と経営の分離も。社内の臼井塾で経営幹部候補を鍛えている。

・高橋管理部長引率で社内見学:カスタマーサポートは24時間365日。予防安全。シーメンステルモ、ジョンソン・ジョンソン、顕微鏡、AED、CT、GEヘルスケア、電力機器、ABBのロボットショールーム、、、。 

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大学納:ラウンジ

・山本さん

・高野課長

・飯田先生

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 「名言との対話」1月23日。成田きん「老後の蓄えにします」

成田 きん(なりた きん、1892年明治25年)8月1日 - 2000年平成12年)1月23日)。

双子の妹の 蟹江 ぎん(かにえ ぎん、1892年明治25年8月1日 - 2001年(平成13年)2月28日)。 100歳を過ぎても元気な姿は「理想の老後像」と言われ、1990年代の日本において国民的な人気を得た。 きんは心不全で107歳で没。4男7女をもうけ、この戦争で長男と次男を中国大陸の戦地に送った。ぎんは老衰で108歳で没。4女をもうけた。

ダスキンテレビCM「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳。ダスキン呼ぶなら100番100番」で全国的に有名になる。1992年2月に『きんちゃんとぎんちゃんでCDデビューし、日本での最高齢レコードデビュー記録を更新1992年9月15日敬老の日NHKがドキュメンタリー番組『きんさんぎんさん 100歳の時間(とき)』を放映名古屋地区で31.0%の視聴率を記録。1992年12月(100歳)と1998年12月(106歳)に『徹子の部屋』にゲスト出演。1993年にはNHK第44回NHK紅白歌合戦』に応援ゲストとして出演。1993年には春の園遊会に招かれた。1995年には「金銀婆婆」と呼ばれ人気を得ていた台湾へ招かれて103歳で初めての海外旅行。きんは放送大学の科目履修生にもなっている。1992年のテレビ出演回数は延べ40回近くにのぼった。きんの 2000年の死去時点で、子が6人、孫が11人(内孫2人、外孫9人)、曾孫7人、玄孫が1人いた。2018年3月18日ダスキンの新聞広告にぎんの三女(千多代・99歳)と五女(美根代・94歳)が起用された。2019年1月現在長女と三女は健在である。

 二人ともマスコミで取り上げられ始めたころは全白髪であったが、メディアに取り上げられるにつれ黒髪が増えていった。当初は中度の認知症であったが、有名になるにつれて改善した。常に新しい経験と刺激、そして下半身を中心とした筋力トレーニングによる脳への刺激が認知症に有効であることの実証例として注目された。

100歳になってメディアに出演などでお金が入る。「お金を何に使いますか?」という問いに対して、2人揃って「老後の蓄えにします」と答えて話題になった。100歳からでも老後があるということだろう。まだ老いてはいない、まだまだ先があると意識しているように感じられる。人生100年時代を迎えようとしている今、この発言は単なるユーモア以上の含蓄がある答えである。