多摩大T-Studioの「名言との対話」第35回--樋口裕一「すべての道がローマに通じるのなら、ドンキホーテよ、デタラメに行け」

多摩大T-Studioの「名言との対話」第35回をリリース。

対話の相手は樋口裕一さん。座右の銘は「すべての道がローマに通じるのなら、ドンキホーテよ、デタラメに行け」

www.youtube.com以下、樋口裕一さんのブログから。

私が大学に入学したのは1970年。安田講堂事件の翌年。まだまだ大学紛争の盛んなころだった。大学はタテ看板と落書きとヘルメットにあふれていた。

 数年後には内ゲバが始まり、私の通う大学では革マル派の学生が中核派の学生を大学構内でリンチして殺すという事件が起こって、大騒ぎになった。ひところ、銭湯に行くと、指名手配のビラに大学の顔見知りの顔が張り出されていたものだ。

 そんな時代、教室の落書きに見つけたのが、このブログのサブタイトルに選んだ「すべての道がローマに通じるなら、ドン・キホーテよ、デタラメに行け」という言葉だった。

 当時、私は、今の私からは想像もつかないと思うが、サングラスをかけ、髪を肩まで垂らし、下駄をはいてタバコをふかしながら歩く、いわばバンカラの無頼漢だった。革マルとも、ほかのどのセクトとも距離を置いていたが、反体制的意欲にあふれていた。

 そんな私は、この落書きに強く打たれた。

「どうせ人間は死んでしまう。堅気に生きようとドロップアウトして生きようと、どうせ死ぬのに変わりはない。だったら、デタラメに生きようではないか」、そんなメッセージに思えた。しばらく、この言葉が私の人生のモットーだった。

 私は、小論文を指導し、論理的な文章を書くことを提唱し、「頭がいい人、悪い人の話し方」などといって世俗的な本を書いている。だから、私を個人的に知らない人には、驚かれる。が、この言葉は、私自身にぴったりくる。

 最近になって、これが新居格という、私が生まれたのと同じ1951年に死んだ昭和初期のアナーキストの言葉だと知った。この人物に大いに関心を持ちはじめている。インターネットで仕入れたくらいの知識しかないが、もう少しこの人物を調べたいと思っている。、、、、、、、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

2月8日、堺屋太一先生死去。享年83。12月17日の「昭島市まちづくり企業サミット」でコーディネーターをつとめたとき、ご一緒したばかりだった。お年を召したなあと感じたが、基調講演ではしっかりお話され、懇親会ではJAL時代にご一緒したことを語った。合掌。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」2月10日。岡田嘉子「私は過去を後悔すること嫌いなんです」

岡田 嘉子(おかだ よしこ、1902年4月21日 - 1992年2月10日)は、日本女優アナウンサー

大正から昭和初期にかけて、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。妊娠、結婚、駆け落ち、失踪など奔放な恋愛遍歴や、ソビエト連邦への亡命など、波乱の生涯を送ったことでも知られる。

岡田嘉子1921年、19歳で山田隆弥主宰の舞台協会公演「出家とその弟子」で息をのむようなラブシーンを演じて以来、新劇のトップスターとして活躍。また愛人の借金返済のために日活と契約を結び、そして映画の世界でもトップスターになった。

1927年、内縁関係にあった山田を捨て、撮影中の相手役・竹中良一と失踪、そして結婚。30歳、松竹蒲田撮影所に移籍し、小津安二郎監督の「また逢う日まで」「東京の女」などで主演。1936年に演出家の杉本良吉と恋に落ち、共産党員の杉本が軍隊に召集されることを恐れて、ソ連への越境を提案し、1937年12月27日、二人でソ連への亡命を決意。上野駅を立ち北海道を経て、翌年1月3日、南樺太の国境を越えてソ連に越境し消息を絶った。これが有名な「恋の樺太逃避行」である。

ソ連スターリンの大粛清の最中であり、引き離されて取り調べを受け、スパイ容疑で別々の独房に入れられ、1939年に杉本は銃殺。岡田は10年の強制労働をさせられる。その後、モスクワ放送局で日本語アナウンサーとなる。同僚の日本人と結婚し、モスクワの国立演劇総合大学で演出を学ぶ。

1972年、日本に里帰り。1974年から主に日本に滞在。映画「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」のほか、舞台やテレビにも出演。1986年に帰国し、亡命直後の状況について口を閉ざしたまま89歳で他界した。多磨霊園にある墓碑には、「悔いなき命をおしみなく」という自筆が刻まれている。

1994年12月4日にNHK-BS2で放映された『世界・わが心の旅 ソビエト収容所大陸』(レポーター・岸恵子)の現地取材によりソ連時代のことが明らかになった。ディレクターの今野勉は、『中央公論』1994年10月号に「岡田嘉子失われた十年」として発表している。

「私、近頃よくこう思うの人生に後悔はつきものじゃないかしらって ああすればよかったなあという後悔ともう一つは  どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔……」。 これは男はつらいよ 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」で岡田嘉子が演じた 志乃のセリフである。「後悔しない」ことを信条としていた岡田嘉子の本音は案外、このセリフにあったのではないだろうか。最近、私も「寅次郎」にはまっているので、数奇な人生を送った伝説の女優・岡田嘉子の演技、特にこのセリフを語るところをじっくりとみてみたい。