ポッドキャスト『ビジネスに活かす 偉人の名言』の収録。安藤百福、勝海舟、本多静六、小林一三。

ポッドキャスト『ビジネスに活かす 偉人の名言』の収録。こえラボの岡田社長と2時間強。

勝海舟「内でけんかをしているからわからないのだ。一つ、外から見てご覧ネ。直にわかってしまふよ」

本多静六「人生の最大の幸福はその職業の道楽化にある。職業を道楽化する方法はひとつ努力(勉強)にある」

小林一三「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ」

安藤百福「時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ」

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夜、偶然目にしたBSの向田邦子の『華燭』を最後まで見てしまった。やはりうまい。

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「名言との対話」2月19日。 岡本喜八「自分を取りまくあらゆる状況を、コトゴトく喜劇的に見るクセをつけちまおう」

岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本映画監督。

 東宝の助監督となるが、召集され豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校終戦を迎えた。このとき、多くの戦友が空襲で死に、戦争への怒りを抱く。

戦後、東宝に復帰。1958年以来、日中戦争北支戦線で部隊の不正を暴く兵隊が活躍する自作脚本の『独立愚連隊』、『独立愚連隊西へ』(1960年)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『ああ爆弾』(1964年)、『』(1965年)、戦中派の心情を作品にこめた『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾』(1968年)など、幅広い分野の作品を監督する。

 東宝退社後の1970年代後半からは、『ダイナマイトどんどん』(1978年)、『近頃なぜかチャールストン』(1981年)、『ジャズ大名』(1986年)などを監督。『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991年)では日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞し、持ち味の一つである娯楽色をさらに前面に押し出した作品が多くなっていく。

岡本喜八監督は、卓抜なアイデア、短いカットの積み重ね、軽快なテンポ、特異なアングルなど、技巧派やテクニシャンや職人監督と呼ばれた。助監督以上にこまめに立ち働く演出ぶりであった。

半藤一利原作の『日本のいちばん長い日』は、昭和天皇鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議においてポツダム宣言を受け入れ日本の降伏を決定した1945年昭和20年)8月14日正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。岡本喜八の1967年版と原田真人監督の2015年版があり、私は戦後70年を記念した2015年版をみた。昭和天皇本木雅弘鈴木貫太郎首相は山崎勉、阿南陸相役所広司が演じたこの作品は、強い意思、狡猾さ、自己犠牲を持つこの3人のチームプレーで終戦となったストーリーとして描いており、話題になった。昭和天皇44歳、鈴木貫太郎首相77歳、阿南陸軍大臣58歳だった。何事も始めるのは簡単だが、終わり方は実に難しいものだが、特に戦争の場合は特にそうだと痛感した。1967年版では、切腹する直前に阿南陸相に「生き残った人々が、二度とこのような惨めな日をむかえないような日本に、、、なんとしてもそのような日本に再建してもらいたい」と語らせている。

全作品は41本であり、戦争批判・明治維新批判が生涯を貫くテーマであった。 空襲を受ける若い日々に「刻々と近づく死への恐怖をマジメに考えると、日一日とやりきれなくなって行く。それが高じて、もし発狂でもしたらみっともない」と思う、そんなある日、「自分を取りまくあらゆる状況を、コトゴトく喜劇的に見るクセをつけちまおう」と考え精神的ピンチを乗り切っている。岡本喜八の特徴であるユーモアとウイットに富んだストーリーは、悲劇を喜劇に反転しようとする態度から生まれた知恵でもあったのだ。時代がもたらす強烈な体験は、ずっと生き続ける。