「本の引っ越し」大作戦

研究室から自宅への本の引っ越しが完了。

研究室から。

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自宅の書斎へ。

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 離れの書庫へ。

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 終了は15時半。

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4月発刊予定の新著予告がもう出ている。

honto.jp-------------------

「名言との対話」2月26日。火坂雅志「もっともすぐれた図を頭に描くことができた人間だけが、最後に生き残っていくことができるのではないか」

火坂 雅志(ひさか まさし、1956年5月4日 - 2015年2月26日)は、日本小説家

麻雀と酒に明け暮れていた大学二年生の頃、「きみも、龍馬、信長と語り合いませんか?」と書かれた貼り紙を見て、サークル早稲田大学歴史文学ロマンの会に所属し歴史文学に親しむ。二十年、三十年、勉強してプロになろうと一念発起してからは毎日図書館に通い、歴史小説の勉強をする。歴史物の出版社に就職し、1988年に『花月秘拳行』で三十歳を過ぎてデビューして、二冊目を出したときに退社する。1999年、吉川英治文学新人賞候補の『全宗』で注目される。参謀の目から戦国を書くという独特の視点を持っていた。

2006年の『天地人』で中山義秀文学賞を受賞。この作品は2009年NHK大河ドラマの原作となった。越後国に覇を唱えた上杉謙信の下で薫陶を受け、「義」の精神を学び、そして戦国時代を生き延びた直江兼続織田信長豊臣秀吉徳川家康など天下人とも真っ向から渡り合い、関ヶ原の戦いの後米沢に移封されるが、家臣領民の幸せを願い国造りに励んだ、兜に大きく「愛」の文字を掲げた武将・兼続の一生を描いた作品である。謙信、兼続、幸村の三作ができて『天地人』の世界が完成する構想だった。

私は火坂の本では『名将言行録 一日一言』を読んだ。武田信玄上杉謙信織田信長黒田如水小早川隆景西郷隆盛をはじめ、時代を切り拓いた名将や傑物たち194人が残した365の言葉を収集した名言集だ。先人たちが迷い、考え、つかみ取った珠玉の名言から人生の味わいを知ることができる。火坂も名言をの収集家だった。

火坂が、新聞に「天下 家康伝」を連載していた。「小牧・長久手の戦い」のところで、家康が図について語るところがあるのを興味深く読んだ。

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かつて、囲碁の名手から次のような話を聞いたことがある。「囲碁というのは、盤上に描く図と図の勝負にほかならない。相手よりも優れた図を描くことができたとき、はじめて勝利をつかみ取ることができる」なるほど、と家康は心中でうなずいた。
囲碁の世界だけではなく、群雄が競い合う戦国の世にも同じことがいえる。すなわち、しのぎを削る諸将のなかで、もっともすぐれた図を頭に描くことができた人間だけが、最後に生き残っていくことができるのではないか。戦国武将における図とは、その人間の持っている哲学---言い換えれば、国家構想といってもいい。

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これは私の図に関する考え方と同じだ。構想・企画に図は欠かせない。結局、どちらがより大きな図を描けるのかという勝負になる。火坂が目標とする本格的な歴史小説を書くには、総合力が必要である。文章力、歴史や人物を切り取る独自の視点、ダイナミズムあふれる合戦シーン、男女関係の機微を描く恋愛シーン、それらの要素を全てが必要だ。アクションの多い剣豪小説を書きながら、筆力を磨いていき、ようやく書きたい作品を書けるようになるのが、1999年の『全宗』からだ。それ以降、火坂雅志は若い頃に頭に描いた大きな構想図に沿って歩んでいった。没する58歳までの15年ほどの期間は、図の完成には少し短かったのではないだろうかと惜しまれる。

 

 

 

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