田口佳史「愉快な人生を生きる」

 田口佳史「愉快な人生を生きる」(サンマーク出版)を読了。

 「愉快な人生」を生きる

知的興奮と精神的快楽をもたらすのが中国古典を中心とする東洋思想と考え、その本質を「愉快」というキーワードに集約して説いた本だ。

明日への希望と謙虚な心を持って、人はみんな愉快な人生を歩むべし。「愉快」の哲学が東洋思想の根源だ、と筆者は言う。

新進の映画監督として活躍中の25歳の時に、タイのバンコク郊外の田んぼで、二頭の水牛におそわれ、瀕死の重傷を負い生き延びる。その経験を経て、いつ死を宣告されてもいいように覚悟を決めて生きようと考え、計画を立て、自分の力で堅固な人生を築いていく。大いなるものに任せる運命から、志を持って切りひらく立命の道を歩んだ。

朝の5時から2時間を勉強の時間にあて、一日一ページの学習ペースでたゆみなく自己を磨いていく。そして50歳で会社をたたみ、中国古典を中心とする研修会を主宰する。

著者はこの本の中で何度も「志」という言葉を使っている。自分の人間性を高め、人格を磨くことを志と呼んでいる。老いを忘れさせるのが志であり、目標やテーマを失わなければ、一本の心棒となって、人は年齢を重ねても老いない。

東洋思想では、人間が働くことのなかには、おのずと修行の意味がふくまれている。千利休は茶の道を「仏法修行の心を体して悟りの道を歩むこと」と定義した。鈴木正三は一鍬一鍬が修行だという「四民日用」の説を唱えた。石田梅岩は「商人が商いをする最大の目的は、おのれの人格を磨く人間修行にある」と心学を説いた。

また、中江藤樹は幸せは誰もが求めるが、内容はよくわからないと言い、幸せの条件として富貴、地位、人格、健康に加えて、子どもの幸せをあげている。

この本の小見出しでは、「一心に打ちこめば、そこに「無心」が生じる」「天命を知り、天意を実践する人は「運が強い」などの言葉が目についた。天命を知って一心に打ちこみ無心の心で天から託された志に沿って生きることで運命を支配することができるということになるのであろう。自分自身のためだけではなく、人のため、社会のために命尽きるまで「愉快な旅」を続けよう。

 

 この本を読んで、私は「愉快な人生」を「上機嫌で生きる」と解釈してみた。上機嫌という言葉を使った人は多い。

丸谷才一「「よし、自分は上機嫌で書こう」

ワーグナー「仕事をするときは上機嫌でやれ、そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない」

ゼークト「いつでも上機嫌でいること、朗らかな気分を維持できる人が司令官にとって一番重要である」

ディケンズ「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほど、うつりやすいものもこの世にない」

サッカーレー「上機嫌は、人が着ることのできる最上の衣装である」

アラン「上機嫌療法」

以上をみると、上機嫌は体を癒し、心を朗らかにし、そのことで人とのコミュニケーションを活性化させ、結果的によい仕事を成就させる効用があることがわかる。楽しんでやる人には誰もかなわないのだ。それが人生100年時代を愉快に生きる知恵である。

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水泳。400メートル。

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BSで月尾嘉男先生のインタビュー番組をみた。東大を定年を定年を2年残して61歳で早期退職し、カヌーを学び自然と向き合う生き方に転向する。難所として有名な南米最南端んのリホーン岬をカヌーで20日ほどかけて探検する話は面白かった。

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土曜日は「寅さん」の日。

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「名言との対話」3月2日。牧野昇「世の中が困ったら”しめた”と思え。困った事態こそ、成長の機会だ」

牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007年3月2日)は、日本の技術評論家

1970年三菱総合研究所の設立に参画し、1984年会長。技術予測、産業政策の論評で知られた。

 1979年に書かれた本の文庫版『知的生産の方法ーー実戦的ビジネス企画発想術』(新潮文庫)を久しぶりに再読した。

知的生産に精通することから出世が始まるとし、シンクタンクという知的活動をメシのタネにしている牧野昇がそのノウハウを明らかにした本である。

「生きがい」とは、人間にしかない前頭葉を常にいきいきと活動させることだ。前頭葉が働き、考え、創造することによる「自己完遂感」が生まれる。それを牧野は生きがいと呼んでいる。この本の中で牧野は、シンクタンクを立ち上げ成功させた経験から、具体的なノウハウを惜しみなく披露している。情報収集と整理のコツ、企画書作成から商品のセールスまでのプロセス、効果的な組織づくりとマネジメントのあり方などを解説してくれる。例えば、プレゼンについては、大きい声ではっきりと話せ、相手の目を見て話せ、豊富な事例を盛り込め、個性的な点の強調せよ、。ユーモアを忘れず、そして相手を立てよ、など。

一方で、同時代の知的生産者たちの本のエキスも教えてくれる。「一日に何か一つ新しいことをかんがえることが脳にはいい」(糸川英夫)。「現地に立った経験と本から得た知識が結合し、自分の考えという子供が生まれる」(小田実)など、、。

日本が経済的にのし上がっていく時代に、シンクタンクがはもてはやされた。その雄は野村総研と牧野が育てた三菱総研だった。経済の高揚期にビジネスマンが知的生産として仕事をとらえるようになった時代に、牧野昇はその師匠として講演をし、多くの著書を書いた。代表的なものだけでも、「逆常識の経営 勝利を勝ち取る逆説思考と現場思考」「二十一世紀日本はこう変わっていく」「製造業は不滅です 日本再生に秘策あり」「創造のちから 「不思議な企業」林原の発想」「アウトソーシング 巨大化した外注・委託産業」「「悲観主義」が国を亡ぼす 独創にまさる日本の「協創力」」「日本経済虚々実々 正しい認識こそが企業を生かす」「牧野昇の「五転び」人生論」「新企業繁栄論」「牧野昇の苦言・直言 経済・産業・技術の針路を読み誤るな」「牧野昇は語る 二〇年先を読みとる先見性を持て」「60年代経営者の条件」「衰亡と繁栄 企業は“革新”をいかに進めるか」「牧野昇の新エリート学 エクセレント・ビジネスマンの条件」「五大技術革命が日本を変える これが衝撃のイノベーションだ!」「知的生産の方法 私の紙とエンピツでの商品づくり」「プランニング 予測と計画の科学」「超技術産業への挑戦」「企業をいかす技術開発」「経営を支える技術戦略」「世界一に挑む日本の工業技術」などがある。

以上の書名を眺めるだけでも、牧野昇が日本の技術と経済の旗振り役だったことがわかる。私の所属したビジネスマン勉強会でも、牧野昇のカバン持ちだった人からよく話を聞くことが多かった。この人も知的生産の達人であり、大学の教授として活躍していた。

仕事をしていると、常にトラブルに襲われる。困ったことが起こる。問題が発生する。ピンチの連続が日常だ。そのピンチを牧野は歓迎せよと言う。問題は解決するためにある。組織は不断に脱皮し続けなければならない。それは個人が成長し、組織が飛躍するチャンスである。この実戦的叡智は、産業界と産業人を励ました。その延長線上に今日の日本がある。今を生きる私たちは今の問題を解決しなければならない。

 

知的生産の方法―実戦的ビジネス企画発想術 (新潮文庫)

知的生産の方法―実戦的ビジネス企画発想術 (新潮文庫)