新著『新・深・真 知的生産の技術』を発刊ーーアマゾンに書評2つ

新著発刊。

新・深・真 知的生産の技術―知の巨人・梅棹忠夫に学んだ市民たちの活動と進化 (コミュニティ・ブックス)

新・深・真 知的生産の技術―知の巨人・梅棹忠夫に学んだ市民たちの活動と進化 (コミュニティ・ブックス)

 

 アマゾンに書評2つ。

高名な文化人類学者の梅棹忠夫が五十年前に「知的生産の技術」を書き、それに触発されて発足した知的生産の技術研究会が現在の情報化社会・インタ―ネット化社会を踏まえ、現在版の知的生産の技術を紹介した本である。梅棹忠夫の書が単なる表面的な技術ノウハウ本でなかったと同様に、本書も技術を超えた各個人の知的領域の拡大や人生の充実という観点を含んだ内容となっている。タイトルに使用している新・深・真に込められているメッセージが象徴する内容の本となっている。「新」はインターネット時代と人生100年時代が交差する新しい情報化社会の中で、SNSツールを駆使し、自己の人生を充実させていく新しい生き方を意味しており、その実践例や活用例が紹介されている。図解手法を活用したホームページの質的、量的充実と共に自分の進む道に対する確信が出来、新しい発見があり、
自分の人生の軌跡がデータベースとして蓄積されていく状況が手に取る様に理解できた。
著者の言葉ではホームページを外部に存在する外部脳として意識し、自身の内部脳と相互に刺激し合い、日々、増殖していくとあり、まさにインターネットを駆使した新しい知的生産の技術だと感じました。若い人は自分の人生の方向つけとして、退職後の第二の人生を迎えている人に対しては人生100年時代の知的生活の充実に向けての著者の経験に基ずく知的生産の技術が提示されている。「深」は知的生産技術の深化として、知的生産の技術研究会が主催していたセミナーにおける仏文学者の桑原武夫と化学者・登山家の西堀栄三郎の名講義が収録されており、一家をなした人の独自の視点が面白い。「真」の章では知的生産の技術の原点である梅棹忠夫氏の代表作である「文明の生態史観」の解説や弟子を自称する人達の梅棹忠夫との関わりを通じ、梅棹氏の先見力と影響力の大きさを感じさせた。
--
知的生産という言葉は、梅棹氏が湯川秀樹に聞いて決めた言葉と聞いている。一般の人、ビジネスマンから研究者まで知的にアウトプットするコンテンツでなくてメソッドを論じたところで爆発的に売れた本のタイトルの一部になっている。昨今のIOT時代、その梅棹忠夫著「知的生産の技術」の中身をアップデートした秀逸の本である。今でも通じる中身である。知的生産を本のタイトルなっているものが多いが、この本のように現場でのフィールドワークを原点に実生活、人生、仕事、勉強、研究、芸術、発想等の技術論・方法論を紹介した本が少ない。
 その中身をざっとご紹介すると。天才ダビンチのダビンチノートのひらめきメモ帳。メモ帳の記録の大切さを技術論的に書く。現場で発想したものをを記録する方法から活用する方法まで、知的生産という行為にコミットメントする。文化人類学民族学で活用される京大式カードの利用やバーチカル・ファイリング、こざね法、等技術論からでる秀逸な発想は今でも十分通用するものである。新では、フィールドワークで蓄積したビックデータを整理したアーカイブを日常生活、ビジネス、研究にデジタルアート(図解)で編集する技術を惜しみなく紹介。感情の知的生産では、日本の伝統の和歌まで言及。日本文化までもアップデートした。デジタル時代の知的生産の技術は、百人百様あり、それのベストプラくテスにアップデートするオープンリソースとなる。
 梅棹氏の中身を話を戻すと。
 発見ノート・ダビンチノート・インスピレーション・ノート等のメモ帳を常備し、何か感じたり、気付いたり思いついた事を記録し膨大なデータを構築する。それをメモ・ ノートからカードへ整理するための カードとそのつかいかた
ノートの利用に関する諸問の解決法紹介。フィールドワーク・現場で得た情報の内容は一枚のカードにつき一つだけ、後に誰が読んでも理解できるように完結した文章として書かく。これらのカードを整理し、時々目にしたり並び替えたりすることで、また新たな発想が生まれることもある。 一次資料を作成する要領で「 きりぬき」と「標準化」「規格化」をする。そしてその作業を通して新しい発想や発見、ひらめき、体系化ができる。そのプロセスが、情報 整理と事務の方法を紹介する。読書論は、自分の知的生産の技術で得た事実、発想、体系、価値観を検証するために読む。読書記録の整理方法、読書の内容を一次資料とする方法論を紹介。
当時梅棹氏の本には ペンからタイプライターへと書かれている。アップデートした「知的生産の技術」は、PC、スマホ、Web、IOT、デジタル時代での知的生産の技術論、これからは、スマホからデープラーニングされた人口知能へを考える時代かもしれない。日記と記録と手紙は現代で言えば、メール、ライン、ブログ等にスマホで発信で移行している。原稿の書き方は、訓練が必要、京大式カードと共に良く知られたこざね法である
 梅棹忠夫著「知的生産の技術」の技術の一つ一つの具体的な方法は、今でも十分活かせる。その上で梅棹氏が予想したこの情報化時代では、プログラミング教育が小学校で実施されようとしている。エリートビジネスマンもプログラミングを学ぶ時代である。そんな時代において新しく、より深く・より真実せまる梅棹忠夫著「知的生産の技術」をアップデートしたこの本の内容を自分の知にインストール。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

学科長会議

研究室の引っ越し作業開始。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」3月6日。森山加代子「死んでいくのよ蝶のままで あなたに 抱かれて わたしは 蝶になる」

森山 加代子(もりやま かよこ、1942年3月23日 - 2019年3月6日)は、北海道函館市出身の日本の歌手

 札幌のジャズ喫茶でスカウトされ、1960年に「月影のナポリ」でデビュー。いきなり50万枚の大ヒットを飛ばし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。1961年発売の「じんじろげ」は強烈な歌詞とともに流行語にもなった。1962年「五匹の子豚とチャールストン」で3度目の紅白。

それ以降、低調だったが新潟で主演中の楽屋に水原弘が現れ、もう一度メジャーでやってみないかと励ました。このとき、いくつかの候補作から自身が選んだのが、「白い蝶のサンバ」である。1970年に発売した「白い蝶のサンバ」〈阿久悠作詞)は、サンバの軽快なリズムに乗せた歌詞「あなたに 抱かれて わたしは 蝶になる」が人気となり、ミリオンヒット。同年の紅白歌合戦に8年ぶり4度目の出場を果たした。

まだ新進作詞家としてデビューしたんばかりだった阿久悠の詩は、早口で歌う詩で、独特だった。この詩を採った森山加代子の選択眼もよかったのであろう。

最後のブログ更新(森山加代子オフィシャルブログ「Kayokos Room」)は2014年1月19日だった。

・「今年も皆様をハラハラドキドキさせながら、もう少し唄っていこうと思っています。もし歌う事が嫌になったら、皆様にお願いしますので『辞めても良いよ。』って云ってくださいネ」

・「皆様のおかげで、こんなに長い間唄って来れたのですから森山加代子は、いつ辞めても皆さんが納得して下さるのなら悔いはありません。楽しく笑顔で唄い続けられるまで頑張るつもりです」

夫の林正和さんは、本日2019年3月6日にインタビューに答えている。

「息を引き取る5分ほど前、私を見て『お父さん、ありがとう。迷惑かけたね』…と。それが最期の言葉でした」

あなたに抱かれてわたしは蝶になる あなたの胸あやしいくもの糸 はかないいのちさだめなの あなたに抱かれてわたしは蝶になる 涙をためくちづけ受けるのよ あふれる蜜に酔いながらおぼれるのよ 恋は心もいのちもしばり 死んで行くのよ蝶々のままで あなたに抱かれてわたしは蝶になる 気ままな夢忘れて苦しむの はかないいのち恋のため散らせるの
あなたに抱かれてわたしは蝶になる あなたの胸あやしいくもの糸 はかないいのちさだめなの あなたに抱かれてわたしは蝶になる ふるえる羽はげしい恋に灼く 二度とは空に帰れない夜に泣く 恋は心もいのちもしばり 死んで行くのよ蝶々のままで あなたに抱かれてわたしは蝶になる 朝日の中つつろな蝶は死ぬ はかないいのち恋の火を抱きしめて

この不思議な世界の歌詞を歌う森山加代子の姿は、はよく覚えている。「あなたに抱かれて蝶になる」「死んでいくのよ蝶のままで」という代表作「白い蝶のサンバ」の歌詞のとおり、森山加代子は本日78歳で生涯を閉じた。合掌。