多摩大学大学院学位授与式。

多摩大学大学院学位授与式。

・始まる前に学長と懇談。新著『新・深・真 知的生産の技術』を贈呈。世田谷、児童虐待、、。

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学長:840名のOB。平成と並走した30年。中国は日本の10分の1から3倍へ。アジアダイナミズム。次のビジョン、構想は?ジェロントロジー。100年人生。工業生産力モデルの揺らぎの30年。次の時代はこれでよいのかになる。新しい付加価値とは何か。時代のテーマは何か。知の再武装が必要。自分もストラグルしている。三層の知の再武装。18歳。成功体験なき40代という危うい層。60歳以上は仕事の進化が必要。カセギからツトメへの思想転換。歴史的転換点。

理事長:平成最後の修了生。実学志向。

研究科長:知の再武装。ライフワーク。ライフシフト

同窓会長:知の再武装。窓を開けよう。ヨコからタテへ。

院生代表:実践知。

修了生代表:2005年多摩大卒業。起業した会社は12年目。不条理の解決に職業や仕事で貢献という志。社会起業家として一隅を照らす。

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 田坂広志教授の最終講義。

・作家は処女作に向かって成長する。原点。「生命論のパラダイム」。予測はできないが予見はできる。ヘーゲル弁証法。螺旋的発展の法則。懐かしい古いものが新しい価値をともなって登場する。対立物の相互浸透の法則。古代は生命論パラダイム、20世紀文明は機械論パラダイム(巨大な機械、要素還元主義と操作主義)、次の時代は生命論パラダイム

・物事は複雑になると生命体になっていく。複雑系。複雑なものには命が宿る。自己組織化、共鳴、創発、進化、共進化、生態系、バタフライ効果。新たな生命論パラダイムの時代。東洋文明は生命論、再評価。東洋文明の日本精神を土台に西洋文明の化学技術を包摂したのが日本。アウフヘーベン

・価値観の転換:無限から有限へ(国土、環境)。不変から無常へ(変化)。対立から包摂へ(多元主義)。制服から自然(じねん)へ(共生、自然)。機能から意味へ(日本)。縁(えにし)。一期一会。感謝、、。日本には大いなる使命がある。

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(図解ウェブは複雑系の生命体。図解技術。図解思考。図解思想。価値観の転換をけん引できるのが図解思想。マネジメント。日本とは何か=図解。日本人とは何か=人物)。

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 3月9日。大屋晋三「死ぬまでやめない」

大屋 晋三(おおや しんぞう、1894年明治27年)7月5日 - 1980年昭和55年)3月9日)は、日本の政治家実業家

1945年(昭和20年)11月には社長に就任。その2年後に1947年に参議院議員に当選して政界に進出。吉田内閣の商工大臣を初め、大蔵大臣、運輸大臣を歴任した。その間に、世界有数の繊維メーカー帝人は、ナイロンを開発した東洋レーヨンの後塵を拝すようになる。1956年に社長に復帰し「諸君のなかの一部には、わが社の過去の繁栄の惰性のうえにあぐらをかいて、この幻影をいたずらに頭に描き、わが社にはまだ何かよいものがあるように考えている人がありはしないだろうか」と語りかけ、起死回生の一手「テトロン」を開発導入し、帝人を瀬戸際で救った。

その後、化学とは関係の薄い分野に進出する多角化経営に乗り出し、失敗を重ね、未曽有の赤字を計上する。「死ぬまでやめない」が口ぐせだった社長在任は26年余に及んだ。この動きは1980年に大屋が死去するま止まらなかった。まさに死ぬまでやめなかった。

大屋以降の経営者たちは無謀な多角化路線の事業整理に追われ、20年近くリストラを繰り返し、リスクを避ける消極的な社風が定着し、 かつての大帝人縮小均衡路線を余儀なくされたてしまった。

「老いぼれが古い頭でしがみついて、しかも後進の道をふさいでいるんじゃ、これはまずいだろうね」「一般には、体力も、気力も、判断力も衰え、知識も時代遅れだ。それなのにへばりついている、それを老害という、、、、。しかしながら、年齢でなしに個人差があるということですね。だからエクセプション(例外)があるというふうに考えないとね」。自分のことは自分ではわからなかった。自分だけは例外とみていたのだ。

高齢による衰えと夫人の人事への介入は、1970年代には雑誌などでも取り上げられたこともあり、この間の様子は私もよく知っている.。大屋は功罪ともに大きな足跡を帝人に残した人物だという人もいるが、功を上回る罪をなしたと評価すべきだろう。大屋晋三の思想と人生の軌跡は、救国の英雄が国を亡ぼす、その典型を示している。「出処進退」という言葉を改めて感じる事例である。