『梅棹忠夫著作集』第5巻「比較文明学研究」(575ページ)を読了。

梅棹忠夫著作集』第5巻「比較文明学研究」(575ページ)を読了。

毎日少しづつ読み継いできた。目からうろこが落ちる毎日だった。

全22巻を読むという大きなプロジェクトが始まる。

 ・文明の生態史観・比較文明論の展開・文明学の課題と展望

梅棹忠夫著作集 (第5巻) 比較文明学研究

梅棹忠夫著作集 (第5巻) 比較文明学研究

 

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4月発刊予定の著書の最後の追い込み。

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スポーツクラブでトレーニング。ストレッチ、ウオーキング、スイミング。

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「名言との対話」3月10日。代田稔「ハガキ一枚、タバコ一本の値だんで健康を」

代田 稔(しろた みのる、1899年4月23日 - 1982年3月10日)は日本の医学博士実業家

衛生状態が悪く、貧しいことが原因で栄養のあるものを摂ることができなくて感染症で死んでいく子どもたちを見て、今の長野県飯田市生まれの少年時代の代田稔は「医者になって子どもたちを救いたい」と決心し、京都大学医学部に入る。

消化器官の微生物を研究し、「伝染病はかかってからは治す方法がない。それなら、かからないための予防が大切だ」と考え、「予防医学」を志す。そして、人腸乳酸菌を研究し、乳酸菌が腸の中の悪い菌を抑えることを発見し、乳酸菌の強化培養乳酸菌(乳酸菌シロタ株命名)に成功する。シロタ株を入れた飲み物を世界言語・エスペラント語のヨーグルトから「ヤクルト」と名づける。

1935年から福岡市に代田保護菌研究所を設立し「ヤクルト」の製造・販売を開始す。軍医として出征、ハルピン医科大学教授を経て、帰国。ヤクルトの本格的販売に乗り出す。原料の入手が困難となり、製造中止。敗戦後、1939年からは下関市代田研究所を設立し所長に就任。シロタ株を復活させ、1950年から再びヤクルトを販売する。

シロタ株を使った薬にはしなかった。薬にすると高くなり、貧しい人が手に入りにくいためであり、健康のためには毎日の生活が重要と考えたからだ。そのため、少量であっても自宅に届けるという方針をとった。どんな天候でも確実に届けるには真面目に働く主婦を採用した。それがヤクルトおばさん、現在のヤクルトレディにつながった。冷蔵庫にあり毎日のように私も飲んでいる「ヤクルト」の歴史を知った。

ヤクルト(株)では、「予防医学」「健康腸寿」「安価」を代田イムズと呼び、企業経営の原点としている。「私たちは、生命科学の追究を基盤として、世界の人々の健康で楽しい生活づくりに貢献します」という企業理念、「人も地球も健康に」というコーポレートスローガンンにつながっていく。ヤクルトは世界3カ国で毎日3900万本が飲まれている。東京都国立市のヤクルト中央研究所に、代田イムズを継承するための代田記念館がある。

代田イムズの「安価」は、誰もが手に入られる価格を意味している。一人でも多くの人に、手軽に飲んでもらいたいという代田稔の考えを、「ハガキ一枚、タバコ一本の値だん」と表現したのである。創業者・代田稔の代田イムズは今も生きている。