多摩大学目黒高校卒業式で来賓祝辞。歌は「不易」、名前は「流行」。

多摩大学目黒高校の卒業式に参列。9時半から2時間ほど。

312名が卒業。この高校の卒業式には何度も出席しているが、以下のように賞が多い。

理事長賞。優等賞。6カ年皆勤賞(7人)。3ヵ年皆勤賞。東京都知事賞。日本私立中学高等学校連合会賞。東京都中学高等学校協会賞。東京都私学財団奨励賞。体育優良生徒。文化活動優良生徒。東京都高等学校野球連盟優秀選手賞。高校生新聞社賞。

歌は昔から変わっていない。君が代仰げば尊し蛍の光。そして学園歌。歌っているときに、泣く女生徒はいない。君が代は「苔のむすまで」で永遠を、仰げば尊し「今こそ別れめいざさらば」と蛍の光「開けてぞ今朝は別れゆく」で別れを、そして学園歌は「この輝ける日々よいつまでも」と未来をうたっている。

名前もバラエティが豊かでおおいに変化。太郎、次郎、三郎、四郎、、などの多産時代のつけ方とはずいぶんと違う。漢字の意味するものを見ていると少子化で親の精魂を込めた愛情が反映されていると感じる。女生徒のひらがなの名前は、まひろ、さくら、ゆめか、なつみ、さくら、ひより、さくら、ひなた、ひとみ、せれな、ほのか。さくらが3人もいた。「子」がついたのは、わずか8人だから36人ほどのクラスに1人という勘定になる。男生徒では「太」のつく名前が21人と目についた。クラスの2人ほど。

いつも感じることだが、厳粛な雰囲気の中で、未来を担う若者を育てる教育という仕事の神聖さ、そして彼らのはるかなる人生の旅を想う。

f:id:k-hisatune:20190316175329j:image

私は来賓代表祝辞を担当。10数分。

「外的世界と内的世界。アジアダイナミズム。人生100年時代。キャリア3期・人生6期。現代の志塾。なぜ勉強するのか。少壮老死。人文・社会・自然科学の関係。教養のある人。偉い人。大学時代には失敗せよ。挑戦・失敗・永遠の未完成。」

終了後、昼食をいただきながら父母の代表と懇談。何人かの先生からも挨拶を受ける。

ーーーーー

帰りに東京駅の「ステーションギャラリー」を覗く。フィンランドが生んだ20世紀を代表する建築家アルヴァ・アアルト展。家具、照明器具、ガラス器から、建築、都市計画までの多彩な活動だ。

f:id:k-hisatune:20190316175349j:image

 

「名言との対話」3月16日。大川功「新しい産業には、必ず『予兆』が「あるという。その『予兆』をのがさずにとらえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は『時流』という恩恵を与え、そして、『使命』という社会的責任を負わせるのだと思う。私の人生は、それに尽きる」

大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - 2001年3月16日)は、日本の実業家

病臥8年で社会復帰は29歳から。負けけ犬が勝つには「のれん」のない未成熟の分野で勝負するしかない。コンピュータサービス株式会社を設立。一世一代の勝負をかける。43歳だった。後に頭文字をとってCSKとなる。

一流を目指すやり方。誰でも知っている住友生命淀屋橋ビルで創業。1982年、東京の証券市場で上場。自宅は成城に構える。以後、日本の情報産業をけん引する。1985年に売上1000億円を目指すと宣言した翌年には、60歳で「2001年、CSKグループ1兆円の実現」を公言した。

以下、大川功語録。

「人間は別れ際が大事」「会社は人でできている」「ビジョンを掲げ、公言する。見る情報すべてが体に飛び込んでくる。全身が神経になる」「お金というものはいつでも使えるように準備しておくべきで、明日にでも動員できる形にしておかなければならない。社員一年分の給料、現金は必ず持っていなくてはいけない」「不動産は絶対に手を出してはダメだ」。

1990年代初めのバブル崩壊後にCSKは業績が悪化。「大型コンピュータからパソコンへの時代の変化を見落としてしていた」と反省の弁を述べた。CSKグループの稼ぎ頭セガセガサターンソニープレイステーションに押されて苦戦を強いられる。「ソフトの開発環境を誰もが参加しやすいオープンなものにしなかった。これが戦略の誤りだった」と分析、反省をしている。この率直さも素晴らしい。

2001年の大川の死去後、安定期に入ったとみえたが、不動産投資事業への資本集中が、サブプライムローンの破綻、リーマンショックなどの影響を受けてCSKは窮地に立った。「不動産は絶対に手を出してはダメだ」と強く語っていた大川の戒めを後継者たちは守れず、2011年10月1日住商情報システムに吸収合併された。死後、大川の遺志に基づきベンチャー企業の振興発展を行う「一般財団法人 大川ドリーム基金」が2011年に設立されている。

並外れたメモマ魔であり、寝る前に読み返すという習慣を持っていた大川功は、1983年には「ネットワーク」「人工知能」「データベース」が高度情報化社会に向けての三種の神器であり、最終はデータベースの時代になると予見し、問題は人材がいないことだと語っていた。また1990年代初めには「これからの方向性がこれからの10年で決まってしまうと予感している。当然、情報産業の勝負も、それでに決してしまう」と述べている。現在のアメリカのGAFAの台頭や、中国のアリババ、テンセントの全盛をみると、大川功の予感は的中している。

「予兆、時流、使命」という冒頭の大川功は、「時代を読み、ニーズを読み、個々の相手を読み、こちらの強みを精一杯ぶつけて汗をかいて、という苦労があってこそのお金儲けだというのが私の信条である」との言葉通り、一代で大企業をつくった。そして「儲けたお金は自分の存命中にすべて使い切りたい」との言葉どおり、阪神大震災時の匿名の寄付、野茂などアスリートへの援助、若手起業家への援助などに巨額の私費を投じている。『大川功 人間の魅力』という本のとおり、この人には大いなる魅力がある。 この本には、立教大学時代の野田一夫、アスキー西和彦など私にも縁の深い方々の名前も載っている。

大川功 人間の魅力

大川功 人間の魅力