10時半:立川で4月出版の単行本の最終読み合わせ。
ーーー
15時:代々木、力丸君と打ち合わせ。今後やるべきことの全体像がみえてきた。JAPANプロジェクト。
ーーー
代々木:NPO法人知的生産の技術研究会
16時半:高橋副理事長、福島事務局長と打ち合わせ。
17時半:幹事会
18時:2018年度総会
・私からの理事長挨拶。
-再建:2020年10月17日。生誕100年、50周年。民博
-地域知研:関西、岡山。沖縄、九州、宮島、東北。6月北海道、
-新深真は毎年刊行。東京セミナーは人生100年とsns。出版
-図解とマネジメントゲーム。テキスト完成。4月に東北で図解演
-寺島顧問::全国の映画館でセミナーのライブビューイング。ア
-久恒:特任教授。雑用から解放。自由。月1冊を目標。4月に「名
-人生100年時代のモデルの。コストとリスクではない、ライフ
・2018年度決算・2019年度予算の審議。
18時半から1時間強:例会セミナー:ゲストスピーカーは久米信行さん。テーマは「SNSで知的生産」。実に興味深い講義だった。皆、大満足。
アマゾンミュージック。アマゾンプライムビデオ(名画)1000円。キンドルアンリミッテド(読み放題)。ぐるっとパス(2か月2200円。東京の美術館・博物館の半分はタダ)。東京はコンサートも格安、映画・音楽もほぼタダ、ランチは世界一おいしい、無料講座、JMOOCオンライン講座、MOOC。精神的貴族になれる!タグ付け。ネットとリアル。無心で投稿。ネトウヨとネトサヨしかいない。モバイルシフト。サイマルヴューイング。笹川良一ブログ。公開執筆でベストセラーに。SNSで不得手に帆をあげよ。ホットスポットは22年前インターネット、17年前地球環境、11年前社会起業家、9年前観光地域づくり、今は教育X文化X芸術。リアルの20人・同志の200人・緩い関係2000人。インスタグラムにフィルターをつける。インスタ格差が経済格差に。即発信し即忘れる、後で検索。『梅棹忠夫のことば』。事前準備で営業。ググってウィキして、、。渋谷哲一。地縁・血縁・学縁・社縁、そして網縁。一番目前で必ず一つ質問・講師と名刺交換・お礼のメッセージ・ブログ登録メルマガを読む・コメント・イベント参加。狂信力X継続力。縁・運・勘。ことりっぷ。脳のパラボラ力。心のズーム力。旅の探検力。地元紙・タウン誌。SNS発信・キーワードのみ・一か所10枚の構図写真。インフルエンサーとつながる・地元通NO1・観光協会のHP。アニメの聖地(諏訪湖・江ノ電・大洗海岸・竹原・飯能)。前泊と後泊。レンタサイクル・レンタカー。近隣温泉で朝食のみで宿泊。一人ゴルフ。道の駅。古民家カフェ。21世紀の主役は日本女子。
東京以外は、岡山、名古屋、福岡からも理事・会員が見えて盛況だった。伊藤さん(8月5日の岡山講演)、池淵(鮎川儀介研究)、阿部さん、、、。次回のテーマは井上貴美子さんの「平穏死」。
幹事の根岸さんと話しながら帰る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」3月22日。大関早苗「美しくなるということは幸せになること」
20歳で軍人と結婚。2児をもうけたが、4年後の24歳で夫と死別。昼は洋裁学校、夜は山野愛子高等美容学校で学ぶ生活の中、二者択一を迫られ、「髪結いの亭主」という言葉があるように、亭主を養えるなら子供二人も大丈夫だと考え、美容の世界を選ぶ。すぐさま美容の本場のニューヨークで新しい美容師を目指すこととし、子どもたちは母と兄嫁に預けブラジル、アメリカ、フランスで3年の修行をする。
帰国後、1959年東京・市ケ谷に大関早苗美容室を設立し、その後、化粧・髪型・動作から一般教養まで総合的に指導するカリキュラムを設定した東京チャームスクールを開校。1962年には海藻の美容効果に着目し、エステティックブームの先がけとなる1963年には西銀座に大関早苗美容室を開業。再婚し、1974年から6年間ロンドンに滞在した。
職業人としては成功するが、3年間の海外武者修行の間の負の遺産は大きかった。帰国後に子どもを抱きしめようとすると、手を払いのけられる。じっと白い眼で見つめられる。日本での多忙な生活でも、母の部分は欠落する。娘はなつかないまま学生結婚をして家を出ていく。47歳で再婚した相手にしたがって、仕事を周囲に任せてロンドンで生活をする。再婚にも問題があり、子どもたちの言葉で傷つく日々であった。ロンドンで娘に家庭のことを頼むことにし、孫のアニーとの生活を送る。しだいにわだかまりが解けていく。その日常生活を描いたのが『アニー物語 ロンドンの寺子屋から』だ。
6年間のロンドン生活を経て、帰国。かつらの導入、メンズサロンの解説、美容体操の考案など、新分野を開拓していく。大関早苗美容室は今なお健在であり、大関早苗の「美しくなるということは幸せになること」という言葉も生き続けている。その裏には、女として、母としてのこのような苦悩もあったのである。母子家庭での、職業婦人としての顔と家庭の母の顔の葛藤をこの本で垣間見たが、大関早苗は長い時間をかけてなんとか両立できたのではないだろうか。