二日目。朝5時半から23時までの記録をつける。

二日目。

どのような生活パターンになっていくのか、しばらくは実験しながら考えていくことになる。生活を詳しく記すことをしばらくはやってみようか。

朝は5時半に起床しブログを書く。書き始めが少し遅くなったのと人選びに手間取って4月1日の「名言との対話」は未了。トイレで日課になっている梅棹忠雄著作集11巻「情報と文明」の「情報産業とファッション」の項を読む。

8時50分からは3年ほど毎週通っている近所のヨガ教室で1時間ほど励む。体と心の両方にいい。女性の先生で、受講者はほぼ全員が女性。帰宅し日経新聞東京新聞の「令和」の記事を読む。

11時、駅までの15分をユーチューブで「ラジオ版学問のすすめ」の池井戸潤(小説家。「下町ロケット」で直木賞)のインタビュー番組を聴きながら歩く。二駅先の京王永山からはタクシーを使って大学へ到着。

総研で1時間ほど書類整理。14時からラウンジで脳波の共同研究のリーダーの良峯先生から脳波の記録のやり方を習う。図解を描いている時の集中がどの程度のものかを調べることにしている。アルファー派とベーター派の割合を記録し分析することになる。途中で、久保田先生と今泉先生とコミュニケーション。測定器を頭につけている姿は彩藤T先生に撮ってもらった。多摩大で同僚だった金子さんに退任祝いにいただいたオルゴールの御礼の電話。日本実業出版社の安村さんと新刊本の受け取りの相談。

大学から京王永山まで20分ほど歩く。この間「ラジオ版学問のすすめ」の沖方丁(小説家。「天地明察」「光圀伝」)のインタビューを聴き始める。池井戸潤沖方丁も最初から小説を書こうとし実際に実現した人だ。どちらも現在の生活を楽しんでいるし、もっともっとうまくなれると確信し、作品ごとに成長を実感している。この番組は1時間近くの番組でインタビュアーがうまく引き出すので楽しくてためになる。電車の中で聴き終わって、アマゾンミュージックで音楽を聴きながら、出口治郎『知的生産術』を読み進める。

17時過ぎに品川に到着。駅構内の行きつけの寿司屋で食事。少し時間があったので、カフェで本を読了。その後、本夕の大学院授業の準備。18時に品川キャンパスに入る。事務局の滝川課長、杉本係長を冷やかしてD教室に入る。始まる前に万葉集の本を出している九州の母に電話し、「令和」と万葉集についての話題。

18時半から2018年秋学期入学生徒対象の「修士論文基礎講座」シリーズの中で「図解・修士論文の書き方」を1時間半講義する。受講者は15名程度。文章は「内容」X「表現」という理論から始めて、考え方の解説と2つの演習を行う。

終了後のアンケート「実戦的でわかりやすく著書を読みたい。論文にも人生にも仕事にも活用できる」「刺激的な講義だった」「図解を描ければ文章を書けることがわかった」「図を描くことは必要な要素と関係が明確になっているので、逆算してゴールにたどりつくことができた」「足りないものと不要なものがわかる」「論文は文章の塊という考えが消え、若干親近感を持つようになった。文章読本に踊らされ過ぎていた」「じぶんのかんがえをもつこと」「文章を書くときの不安をぬぐうことができる」「全体像を整理できる。自ら作成した図なら記憶に残る」「論文を書くのは高い能力と技術が必要だと思っていたが、今日の講義で書き方がわかった」「鳥の目は有効だ」「文章を書きやすい」「図解は文章の設計図というのは、たしかにガッテンした」「この能力を得ることができれば、意見の集約、思いの伝達、そして「アイデアを広げることができる」「先生の図解表現は画期的。時間短縮に一番納得」「修士論文に役立つ」、、。

帰りの電車の中で、ユーチューブで「あの人に会いたい 竹内均先生」の「閃きの源泉」という講義を聴く。物理学者の竹内先生の本は若いころよく読んだ。毎月300枚の原稿を書くという自分との約束を破ったことがない。著書は300冊を超えている。継続力の大切さ。異質の接触、組み合わせ。、、

帰宅は22時過ぎになった。風呂で本日が命日の戸田城聖の自伝『戸田城聖 偉大なる師弟の道』を読み始める。あがったあと、リビングのテーブルで、ビールと日本酒を飲みながら読み進める。半分の65ページでやめて就寝。

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「名言との対話」4月2日。戸田城聖「大革命をやるのだ。武力や権力でやるの革命ではない。人間革命という無血革命をやるのだ。これが本当の革命なのだ」。

戸田 城聖(とだ じょうせい、1900年明治33年〉2月11日 - 1958年昭和33年〉4月2日)は、日本宗教家教育家実業家。

20歳の青年戸田は北海道から上京し、自分の生涯をかけるにたる人生の師と哲学を求め歩く。そして出会ったのが西町尋常小学校校長の牧口常三郎だった。「君の才能は成功すれば素晴らしく成功し、失敗すれば、大いなる敗残者になるであろう」と予言される。戸田は牧口に師事する。

戸田は時習学館という塾経営を始める。自分の頭で考え解決法を見つけ出す。子どもたちの探求心、挑戦心を触発する。情熱あふれるふれあい、そして研究工夫された教授法で人気を博した。牧口の教育学の目的は「価値を創造すること」であった。戸田はそれを「創価教育」と名付ける。創価教育学会は、教育変革からしだいに社会変革を目指す運動へと重点を移していく。宗祖日蓮は蒙古襲来を予言し的中させ、現実の政治にも関わった。その流れを汲んだ創価学会は政党をつくり、楽園を現世に実現しようとしている。

治安維持法不敬罪で逮捕され、独房に入れられた戸田は『日蓮宗聖典』を読み切ろうと決心する。1日1万遍唱えることにした。ある日、「仏とは生命そのものだ」と分かり、180万遍を超えようとした日に、「自分も地湧の菩薩のひとりだ」と悟る。「僕の一生は決まった! この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!」。戸田はこの読書に「身読」という言葉を使っている。

「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。初めから、望みが、小さいようでは、なにもできないで終わる」。戸田は次代を担う一騎当千の後継者群を育てることに腐心した。それが池田大作青年だった。池田大作が戸田に「古の奇しき縁に 仕へしを 人は変われど われは変らじ」という歌を献上。戸田城聖の返歌は「幾度か 戦の庭に 起てる身の 捨てず持つは 君の太刀ぞよ」だ。牧口。戸田、池田の3代の師弟関係は強固だったことがうかがえる。

創価中学・高校の開校後、3年を経て牧口常三郎生誕100周年の1971年に八王子に創価大学が誕生する。牧口の遺言「卒に将たるは易く、将に将たるは難し。その器を持つ人を育てよう」を実現したのである。

横浜の山下町を歩いていた折に、偶然「戸田平和記念館」を見つけ戸田城聖という人物の足跡に触れたことがある。外国商館の建物であり、関東大震災以前のものとして唯一現存する歴史的・文化的建築物だ。

大学時代、戸田城聖『人間革命』を、タイトルに惹かれて読んだことがある。その時はよくわからなかったが、「人間革命」とは、個人に内在する「仏」という最高の創造的生命を引き出して、自己の宿命の転換と正しい繁栄を目指しながら、たゆまぬ前進を続ける自己変革への挑戦のことである。

1958年に戸田城聖が没した時、告別式には12万人が焼香した。学会葬の一般焼香には25万人が参列した。その影響力は壮大である。

無血革命こそ本当の革命だ、と戸田城聖は語る。確かにそうだ。方法や手段はいくつもあるだろうが、たゆまぬ前進を続け、自己変革に挑み続けることだ。自己変革を果たそうとする人々の群れが、社会の変革を引っ張っていく。人間革命こそ本当の革命だ。

 

新装普及版 戸田城聖 偉大なる「師弟」の道

新装普及版 戸田城聖 偉大なる「師弟」の道