久しぶりの仙台。ゴルフと講演と宴会。

f:id:k-hisatune:20190404233339j:image

 

f:id:k-hisatune:20190404233402j:image

以下、感想。

・ものの見方、考え方を多面的にとらえていこう。自分がモデルのなれるよう精進。あっという間。

・64歳で新事業。勇気をもらった。

・実年期を思い切り過ごしたい。

・次回は90分の講演を

・反省しきり

・毎日なすべきことを考える習慣を持つ

・人生の豊かさを教えてもらった。

・「のことを言うのでなく、自分の背中をみせよ」と気がつきあmした

・偉い人とは影響力が印象に残った

・70歳。遅咲き人生。100年を生きるヒントをもらった。

 

f:id:k-hisatune:20190404233423j:imagef:id:k-hisatune:20190404233437j:imagef:id:k-hisatune:20190404233441j:image

 

朝1番の日課であるブログをまず書く。「名言との対話」ではどうしても人が見つからず、ドイツの作曲家であるブラームスを取り上げることにし、何とか書き上げることができた。危機一髪。

電車で東京駅へ向かう。明日久しぶりの早朝の電車であり、京王線のダイヤ変更もあり少し戸惑った。新宿からは特急に乗れてなんとか10分前に東京駅に到着。新幹線の改札では、初めてのスマホモバイルSuica特急券を使って新幹線に乗ることにしていたが、少しトラブルがあった。車中で若い車掌さんにいろいろ聞いたが、本人はXperiaを使っていてiPhoneに詳しくなく、なかなか回答が来なかった。

自宅から仙台までの間にYouTubeで経済物を2本視聴する。1つは京大の藤井先生、もうひとつは三橋さん。2人とも消費税の増税で日本経済壊滅との主張。止めるとの予想を高く見積もっていた。そしてNHKの「聴き逃し」で、カルチャーラジオNHKアーカイブスで、「声で綴る昭和人物史」で昭和史を追っている保阪正康さんの番組を聴く。小泉信三がテーマ。本人へのインタビューは八木治郎アナウンサーだった。慶應義塾の塾長であった小泉信三はスポーツには3つの宝があるとしている。1つは練習は不可能を可能にする。次がフェアプレー精神。そして最後が友人である。70歳の時の録音だ。

仙台駅では富田さんが出迎えてくれた。久しぶりの仙台。そのままゴルフ場へ向かう。仙台時代よくゴルフをした安井さんと3人でハーフを回ることになった。安井さんはゴルフの名人で40で回った。アドバイスが非常に的確なのは相変わらずだ。冨田さんは前立腺がんの末期を告げられたが、奇跡的に数ヶ月で完全に復活をしたミラクルマンである。ゴルフコースはあの仙台大観音のコースだった。昨日まで寒かったそうだが今日はなかなか快適な天気。久しぶりにゴルフをやって気分が爽快だ。ただしスコアはまとまらない。終了後3人でお茶を飲んだ。安井さんは60歳を過ぎてからある会社の代表をしていた。その時の苦労話を聴いた。私の図解という考え方は仕事上大きなメリットがあったそうだ。

次に東北福祉大学のステーションキャンパスへ向かう。18時からアクティブエイジングの会での講演である。30数人の人が集まっていた。旧知の伊藤さんや粟野さんと挨拶。団塊世代から壮年の経営者やビジネスマンが多い。アクティブに年齢を重ねていこうという趣旨の会で今回が2回目のセミナーだそうだ。テーマは、「人生100年時代を迎え撃つ、アタマとココロの革命を」。1時間の講演。

終了後「ふるさと」で30人近く集まっての二次会。多くの人と話をして楽しい時間を過ごした。

 ーーーーーーー 

「名言との対話」4月4日。藤井 黎「政治家なんて、おれの人生のプログラムになかったことだよ」

藤井 黎(ふじい はじむ、1930年8月24日 - 2010年4月4日)は、日本の政治家。第29代 - 31代仙台市長。

 出直し市長選の候補として、その人柄を慕う多様な市民グループから担ぎ出された藤井は、後々まで「政治家なんて、おれの人生のプログラムになかったことだよ」と語っていた。

都心部の大規模に再開発され、百億円単位の「箱物」施設が次々に建設された一時代の後を受けて、藤井市長が掲げたのは、自身が長年実践してきたような「市民目線」と銘打つソフト路線だった。「市民協働元年」の宣言、「百年の杜づくり」プロジェクト、「せんだい男女共同参画財団」の設立、サッカー日韓WCでのイタリア代表チームのキャンプ誘致などが形になっている。

 1953年(昭和28年)3月 東北大学経済学部卒業。4月 河北新報社入社。1957年昭和32年)3月 東北大学大学院教育学研究科修士課程修了。8月 仙台市役所入庁職。総務局調査統計課長、企画局企画課長、企画局次長、を経て1979年(昭和54年)1月 教育長、1990年(平成2年)、4月 仙台市教育委員会委員長、6月 仙台市市民文化事業団理事長。そして1993年から、2005年まで仙台市長を3期務めた。

4月4日は藤井さんの命日だったが、仙台にいることもあり皆さんに藤井さんのエピソードを聞くチャンスをもらった。一つは地元の河北新報の記者から、いつタバコを強めたんですかと聞かれて、「高校時代」と答えた笑えるエピソード。もう一つは「市政だより」などで藤井市長は名文を書いていたという話。とても教養が深く、味のある文章だったそうだ。

私も仙台時代に少人数の会食で当時の藤井市長と懇談したことがあった。現在の奥山市長がまだ教育長だった時代だ。話題が豊富で教養が深く、そしてユーモアのある立派な人だった印象を持っている。

教育長を務めていたこともあり人望があり政治の場に担ぎ出された。自分の思い通りには人生は展開しない。