仙台:女性経営者の「経済研究会クラウドの会」で講演。知研東北でミニ講演。

10時:仙台の常宿のメトロポリタンホテルの喫茶で、税理士事務所の菊地さんと面談。今後のことを相談しながら、彼の次の戦略にもアドバイス

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12時。横野さんとアエルで待ち合わせて、昼食会場へ。8人ほどの女性経営者が参集。2時間ほど、「経済研究会クラウドの会」のトップのせんだい男女共同参画財団理事長の木須八重子さん、事務局長の荒岩商事の荒井美佐子さんらと楽しく歓談。

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14時半から、アイリスオーヤマのアイリス青葉ビル7階のアイリスラウンジで講演会。

テーマは「合意術ーータテの合意・ヨコの合意」。

ユーメディア、青葉ガーデン、阿部砂利建設、五葉商事、宮城運輸、鳴子ホテルマネジメント、仙台銀行、帝産キャブ仙台、マナビス化粧品、ブエモンスト、東洋環境開発、工藤電機、Tree of KLife 総合メディカルセンター、本田印刷、馬淵、美穂商事、都市ライフメディア、ケー・ワイ不動産企画、スルー・エージ、吉田由香行政事務所、イーアールアイ。

それぞれの企業・団体のトップたちだ。反応もいいので気持ちよく話ができた。

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・考え方がすばらしい。社是・社訓の図解化を検討します。

・知的生産は生きるための原動力であることを痛感しました。仙台にまた来てくださるように企画を考えます。

・鳥の視点に大変感動しました。

・お客様のクレームなどを図にし問題点を洗い出したいと思います。

・アウトプットが大切という言葉が心に響きました。

・素直に楽しくお話を聞くことができました。先生の図解ウェブの紹介で論理と実践を感じ興味が湧きました。コミュニケーションのヒントをいただけたので明日から前向きに取りくむ一助になります。

・とても興味深くお話をうかがいました。本も読みます。

・小説を書いています。とても面白かったです。

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17時からは、知研東北のメンバー4人との会合で図解の講義。

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19時半の新幹線で東京へ。

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「名言との対話」4月5日。高畑勲「漫画映画(アニメーション)を映画の一ジャンルとして少しでも表現力の豊かなものにしたい。『子供だまし』なんかではなく子供も大人もだまさない、いや、だまされて損をすることのないだまし方で作品をつくりたい」

 高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - 2018年4月5日)は、日本映画監督アニメーション演出家プロデューサー翻訳家

 東映動画に入社。「安寿と厨子王丸」などで演出助手を経て、「狼少年ケン」を演出。1968年、劇場映画「太陽の王子ホルスの大冒険」を手がけ、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」、劇場映画「ゼロ弾きのゴーシュ」「火垂るの墓」、文化記録映画「柳川掘割物語」を監督。プロデュース作品では「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」がある。

 今回改めて「東北学」の赤坂憲雄との対談、アカデミー賞候補として受けたインタビューなど、高畑勲監督の映像をみた。高畑はアニメでは舞台設定が大事だという。ハイジは山の上に住み中腹に村があるという設定だった。港町という設定もある。そして水の都・柳川という設定を使う。物語がその舞台でまわっていくように選んでいるのだ。

2時間45分の『柳川掘割物語』は文化記録映画だ。広松伝という市役所の人の闘いを描いた。ゴミだらけの里山的自然。川掃除など人と川との煩わしい付き合い。水辺の風景を等身大の映像で描いた。

アカデミー賞候補となった『かぐや姫の物語』は簡単な筆遣いでさらっと描いた作品で、同じく候補作に選ばれた監督や脚本家からは、観察力と描写力を絶賛されていた。

火垂るの墓』は物語ではなく、どう生きたかを追体験するアニメであり、5歳の子ども起用した経緯なども語っている。困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いてきたが、この作品では、戦場と化した街や村、そして修羅と化す人の心を描いた。

プロデューサーとしては、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿監督の映画化に挑んでいる。「血沸き肉躍る宮崎アニメの得意技でファンを熱狂させつつ、原作ではまだ片鱗しかみせていない宮崎駿の思いのたけを徹底的にブチこんでもらいたい」と抱負を語っている。

高畑は「おもしろいことができそうだ」という感じが好きだった。「泣きじゃくる」とは、どういうことなのか、「ドギマギする」とは、どういう動きになるのか。そういう感情を具体的に表現するため、人間の心の動きを分解して再構成する。それをひとつずつ学ぶプロセスは発見に満ちていておもしろく感じている。そのおもしろさを求めて、次の作品にのめり込んでいく。

 意外なことに、宮崎駿と違って、高畑勲は絵を描かなかった。 高畑は絵への感覚を研ぎ澄ませて「絵がわかる」という状態にしておくと、「さまざまな才能と組むことができる」と考えていた。自分で描かないという立場であれば、「その人の絵の才能を発揮してもらう」という方向にもっていけるというのである。

高畑勲は漫画映画「アニメーション」を同志でありライバルでもあった宮崎駿とともに、映画の大きなジャンルに育てる役割を果たした。日本アニメは独特の存在感を放っている。 

映画を作りながら考えたこと

映画を作りながら考えたこと