春学期の授業開始。「なぜ学ぶのか? 何を学ぶのか? どう学ぶのか?」

  • 朝一番は、橘川先生と懇談。新刊本「名経営者の言葉」、「多摩大時代の総決算」を手交。

・3月卒業の総代2人。不登校からよみがえった男子と留学プログラムやインターゼミなどで育った女性。そこから言えることは、大学の提供するプログラムを信じて大学生活を過ごせば大丈夫だということを説明。

・多摩大鳥瞰図を紹介。図解ウェブを使って自己紹介。

・なぜ学ぶのか? 何を学ぶのか? どう学ぶのか?

・経営(マネジメント)の本質は、コミュニケーション活動にある。

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以下、アンケートから。オリエンとしてはまず成功かな。

 ハッとしました。他の先生とは違う。印象に残った。心に響きました。 驚きました。今まで考えもしなかった方法だ。新鮮。共感できた。非常に興味深い。斜め上の答えを聞いてびっくり。魅力を感じた。視点がいい。興味深い。救われる気がした。驚きました。よくわかった。楽しみ。信じます。腑に落ちる。モチベーションがあがった。納得。もっと詳しく聞きたい。説得力あり。もっと聞きたい。面白かった。大変に勉強になった。胸に刻みたい。驚かされました。びっくり。面白そうだ。明確になった。、、。

・ラウンジで杉田副学長・学部長と懇談。新入生の様子、他学部の様子を聞く。

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  • 多摩センターの京王プラザホテルで橘川さんと食事をしななが情報交換。経団連PJCT、大学改革コンサル、新教育事業、未来フェス、、、、。未来を感じるプロジェクト群。

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スポーツクラブでスイミング。300m。

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「名言との対話」4月12日。山村新治郎「(政務)次官は盲腸といわれているが、役に立つ盲腸だってあっていい」

山村 新治郎(やまむら しんじろう、昭和8年1933年4月28日 - 平成4年(1992年4月12日)は日本の政治家

衆議院議員(当選9回)。運輸政務次官運輸大臣農林水産大臣衆議院予算委員長などを務めた。

 1970年3月31日の共産主義者同盟赤軍派による日航よど号ハイジャック事件が起こる。日本初のハイジャックであった。羽田発福岡空港行きのよど号を乗っ取った犯人たちは北朝鮮行きを要求した。ソウル空港を北朝鮮の空港と偽装し到着するが見破られる。事前に韓国ソウルに到着していた山村新治郎・運輸政務次官は、犯人の田宮高麿らとの交渉の末に、4月3日に乗客の身代わりとなって北朝鮮に向かう。平壌空港には降りられず、肉眼で小空港に着陸。乗員9名、犯人3名、山村の13名は北朝鮮当局に確保された。4月4日には、北朝鮮は問題を押し付けた日本を非難をする一方で、「人道主義的観点から機体と乗員の返還を行う」と発表した。また犯人たちには必要な調査と適切な措置を執るとして、亡命を受け入れる姿勢を示した。4月5日には全員が羽田空港に帰還した。

こういった大きな事件は関係した人々の人生行路を変えてしまう。よど号の石田真二機長は、いちやく時の人となるが、プライベートなトラブルを週刊誌に書き立てられた結果、日本航空を退職する羽目になった。

 この便に乗り合わせた聖路加病院内科部長の日野原重明は、犯人が「この飛行機はハイジャックされた」と乗客に放送すると、ハイジャックとは飛行機を乗っ取ることです、と解説している。もう一人の弟子の医師とともに乗客の健康管理にあたっている。このとき日野原は59歳、これ以降人生の目的を一変する。

命の危険を顧みず身代わりを自ら申し出た当時36歳の山村新治郎は、「男やましん」「身代わり新治郎」と呼ばれ英雄視された。春日八郎による『身代わり新治郎』という歌まで登場した。1976年の選挙で落選した後、「男・山村新治郎」をキャッチフレー図に1980年の選挙で国政復帰し、以後、農林水産大臣運輸大臣をつとめた。

私は1973年に日航に就職し、ロンドン勤務から戻り成田の独身寮にいた1980年に、山村新治郎の演説を耳で聞いた記憶がある。「日航の皆さん、ハイジャック時に身代わりとなった山村新治郎です」と言っていた。冒頭の「役に立つ盲腸」発言は話題になった。

今回改めてよど号ハイジャック事件を調べてみて、国交もない異国・北朝鮮への飛行ルートもなく、また人質は日本に帰さないという発言もあるなど、どうなるか全く予想がつかない状況だったことがわかった。その中で、自ら手を挙げたのはやはり勇気ある、男気のある人だったと思う。この一事で山村新治郎は歴史に名が残ったと言ってよい。