成城学園の世田谷美術館。『田沼武能写真展ーー東京わが残像1948-1964』
・『東京わが残像 田沼武能写真集』を購入。はげしく変貌した戦後東京の記録。
・『時代を刻んだ貌 田沼武能写真集』。昭和文化を創った240名の著名人の肖像。
田沼武能は1929年生まれだから90歳。3つのライフワークがある。「文化人の肖像」と「世界の子ども」と「戦後東京」世界の子どもは、1984年以来、55歳からユニセフ親善大使・黒柳徹子に同行し世界120ヵ国以上の子どもの写真を撮っている。74歳、文化功労者。詳細は別途書く。
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成城学園駅の近くの住宅街にある「清川泰次記念ギャラリー」で「具象から抽象へのあゆみ」展をのぞく。生誕100年。清川泰次(1919-2000】は、抽象画家。1949年以来成城にアトリエを構え移住。1995年御前崎に清川泰次美術館。色と線と形で純粋芸術を自由に創造した画家だ。『清川泰次記念ギャラリー所蔵作品選』を購入。詳しくは別途書く。
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下は、唐木田駅前のの少女像。田沼武能の写真集にも登場する朝倉響子の作品。
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往復
・17日に書く予定の宮崎輝『取締役はこう勉強せよ!』を読了。
・ユーチューブの「ラジオ版学門のススメ」とNHKラジオ聞き逃しの「ラジオ深夜便」で、蓮池透さんのインタビューを聴く。日本への帰還後10年経った心境を語る新著『拉致と決断』を読みたい。
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「名言との対話」4月13日。ドン・ブレイザー「シンキング・ベースボール」
ドン・ブレイザー(Don Blasingame, 1932年3月16日 - 2005年4月13日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州コリンス出身の元プロ野球選手・コーチ・監督。
セントルイス・カージナルス (1955 - 1959)、サンフランシスコ・ジャイアンツ (1960 - 1961)、シンシナティ・レッズ (1961 - 1963)、ワシントン・セネタース (1963 - 1966)、カンザスシティ・アスレチックス (1966)で活躍したオールスターにも出ている名選手。メジャーを引退後、35歳で日本プロ野球の南海ホークスに入団。素早い足の運びとグラブ捌き、正確な送球、勝負強いバッティング、絶妙の送りバントで魅了した。3年で引退し、南海野村監督のヘッドコーチに就任。野球は頭脳的なスポーツであるとするブレイザーの影響を受けた野村は「自分のID野球の源流はブレイザーにある」と常々語っている。
選手引退後は、広島・古葉監督の守備兼ヘッドコーチ、そして1979年には阪神監督に招聘されている。ブレイザーは一貫して、「シンキング・ベースボール(考える野球)」を展開した。阪神退団後は再び南海ホークス監督に就任。退団し、帰国後は南海の駐米スカウトを経て、セントルイス・カージナルスおよびフィラデルフィア・フィリーズのコーチを担当、フィリーズではアドバイザーも務めた。
こういった多彩で豊かな経歴をみると、選手として頭脳プレーで一流の働きをした以上に、日本プロ野球が根性路線から頭脳路線に切り替わった恩人であると言える。
野村、古葉以外にも、ブレイザーを大恩師とする広岡達郎、「なぜこうしたのか。その結果どうなったのか」よく考えるよう言われた江本孟紀など、その影響力は強い。IBMにはただ一言「THINK」という言葉が貼ってあるという。実質上の創立者であったトーマス・J・ワトソンが「考えることはあらゆる前進を生み出す源である」としたことから、THINKはIBMのモットーとなっている言葉である。スポーツも含め、どの分野でも「考える」ことが重要なのだ。THINK!