本日、図解ウェブが300万ヒット。

図解ウェブの訪問者が本日で300万ヒットとなった。1998年以来、20年かけての数字だ。

今から振り返ると日本におけるインターネットの創世記から取り組んだことになる。インターネットの時代は「図解の時代」だ、と考えていた私は図解を使ったホームページを作ろうと考える。私自身は技術がないので宮城大学のゼミの学生たちと一緒に作り上げることにした。しかし図解を使ったホームページは世の中に存在しない。学生たちはアメリカにはそういうものはありませんと途方に暮れていたが、まずは教育、研究、地域貢献という3つのジャンルに分けてトップページをデザインしてみた。それぞれの領域はしだいに情報が多くなり、複雑化していくことになった。その後何度も枠組みを変化させ今日に至っている。複雑なものには命があるというが、まさにホームページは一つの生命体だ。

300万といっても、1日あたりの訪問者はそれほど多くはないが、自分としては時間をかけて営々として築いてきただけに、ある種の感慨があるのも事実である。

私たちは農業時代、工業時代、に続く「情報産業の時代」の曙の時代にいるとは、梅棹忠夫先生の人類史の進化の区分だ。

ホームページに加えてその後次々と登場するメルマガ、ブログ、TwitterFacebookInstagram、など様々なソーシャルネットワークサービスを試してきた。SNSを図解ウェブに取り込みその情報を栄養として成長してきた。図解ウェブは、情報産業の時代を生きる基地、ベースキャンプであると考えてきたが、今の段階では航空母艦と考えるようになった。航空母艦からは日々様々な性能の戦闘機が飛びたって様々な世界と戦ってくる。その戦闘機たちが収集した情報は航空母艦そのものが航行するための重要な燃料となっている。SNSのエネルギーを充満した図解ウェブをレーダーとして、私は情報産業の時代という大海を航行しているという感覚だ。長い航海になりそうだ。

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名言との対話」4月20日岡本敏子「  お互いに相手を引き出すの。自分だけでは「自分」になれないもの。」

岡本 敏子(おかもと としこ、1926年(大正15年)1月1日 - 2005年(平成17年)4月20日)は、画家の岡本太郎のパートナーであり、かつ養女。

東京女子大学文理学部卒業。出版社勤務を経て、岡本太郎と親しくなり秘書となった。事実上の妻である。

一斉を風靡した風雲児岡本太郎の死後、青山のアトリエ兼自宅を改装し、岡本太郎記念館とする。太郎がメキシコで創作後、行方不明になっていた壁画『明日の神話』の捜索・補修に尽力した。現在、渋谷の駅の通路の壁にかかっているこの作品を見るたびにエネルギーが充満される気がする。太郎の死後、敏子はインタビューや著書によって太郎の再評価をはたらきかけて成功する。

この記念館には私も何度も足を運んでいる。岡本敏子館長が養女となっているのを不思議に思ったことがあるが、それには岡本太郎自身の深い慮りがあったのだ。岡本太郎という芸術家の残した作品がバラバラにならないために敏子を養女として迎えその管理を任せたということだったようだ。

岡本敏子『奇跡』という小説を読んだ。敏子77歳の時の作品である。岡本太郎に捧げる究極の愛の物語と、オビにある通りの作品である。21歳の女性が世間で注目を集める男と出会い、激しい愛をかわしながら、仕事の面でも重要なパートナーとなって成長していく。男が急死した後、様々な男たちとの交流があるが、最後はこの男との永遠の愛に生きていくという感動的な結末になっている。この小説はまさに岡本敏子の自伝であり、岡本太郎との永遠の愛を描いたものであるとは間違いない。

「私は胸を張って言う。この人に惚れずにいられましょうか。なれないもの。」

「女にとって、組織や役割なんて、いつでも脱ぎ捨てられるガウンのようなもの」

岡本太郎という最高の男は、公私にわたるパートナーだった岡本敏子によって創られた。太郎という傑作は敏子の存在証明の作品だったのだ。