自宅で耶馬台の今後。母の友人たちを招いて「鬼太郎」で昼食会。ホテルで同級生との語り合い。

「耶馬台」の運営委員長の垣内さんが来訪。今後の運営についての相談がある。いくつか意見を述べる。どこも大変だ。

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藤田君に借りた車を返しに行く。

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「鬼太郎」で母の友人たちとの食事会。

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ホテルで同級生の吉森君と互いのビジネスマン時代について語り合う。「耶馬台」にも助力してもらうことに。

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藤田君の弟の整骨院で体の調整。

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「名言との対話」4月24日。長谷川一夫「最後まで二枚目でいく、こんな難しいことないんだよ」

長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は、日本俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。

映画界に転身した時、関西劇界の寵児・林長二郎、映画界に入ると騒がれた。大正が昭和に変わったその日、大正15年12月25日に18歳の長二郎は松竹加茂撮影所の門をくぐる。「得意の演出振りに日本映画界を攪乱せしめんとする」と宣言した。

この水もしたたる美男子は「稚児の剣法」で人気スターになり、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝大映に移り、300本以上の作品に出演。舞台テレビドラマでも大きな活躍を見せた。没後に俳優では初の国民栄誉賞を受賞した。 長谷川一夫は本名である。

この世紀の二枚目は主演男優として、当時のトップ女優と共演している。その女優を挙げてみよう。田中絹代岡田嘉子山田五十鈴李香蘭高峰秀子京マチ子高峰三枝子音羽信子、淡島千景山本富士子岸恵子香川京子若尾文子、、、。実に豪華な顔ぶれだ。うるんだまなざしは「眼千両」と言われ、世の女性ファンを魅了した。

「五十五歳になったら映画はやめようと、若いころから思っていました。皺くちゃのオッサンになって映画出てたらおかしいでしょう。私は二枚目で売ってますから、いい男でなけりゃならないんですよ。顔がたるんでから、いい男の役で出るのは嫌ですから」と、舞台に戻った。その後、1964年(昭和39年)にはNHK大河ドラマ赤穂浪士』に大石内蔵助役で主演し、当たり役のひとつとなった。このドラマの演技は私もよく覚えている。

不思議なくらい運がよく、長谷川の去ったあとの会社は、松竹、東宝大映も落ち目になった。

身長162cmと小柄であったのは意外だが、美人として誰もが認めた女の二枚目・山本富士子は、冒頭の二枚目でいることに難しさを直接聞いている。長谷川一夫は「 ずっと二枚できたから、老け役はしてはならない」という決心を最後まで貫いていた。俳優には年齢が進むjに連れて、役柄も変化する人も多いが、この俳優は「永遠の二枚目」というイメージを大切にし、観客が望む夢を与えることを至上としたのである。 

別冊太陽 長谷川一夫をめぐる女優たち
 

 

 「名言との対話」小出義雄「焦らなくていい、大きな山はゆっくり登れ」

小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。

バルセロナオリンピックのマラソンで銀メダル、アトランタオリンピックで銅メダルと2大会連続でメダルを手にした有森裕子と、シドニーオリンピックで金メダルを獲得した高橋尚子を育てた指導者といえば、その手腕は誰にもわかる。以下、小出監督の指導法を探ってみよう。

 ほかの人と比較するんじゃないよ。比較しちゃ絶対に駄目だよ。いつでも、自分がいまよりも強くなることだけを考えなさい。

私の教え方は、 夢と希望を持たせることです。 「勝てるよ、世界一になれるよ、 お前なら絶対出来る!」と毎日誠心誠意言い聞かせると、 心が通じて人間の脳は、 「なるほどな!」となるわけです

『おまえは、世界一になれる!』と、毎日のように言い続けたのだ。高橋(尚子選手)にしてみれば、365日『おまえは世界一になれる』と同じことを言われていると、本当はなれっこないと半信半疑でも『あれ、もしかしたらなれるのかな』とその気になってくる。だが私は本当の本気だった。

 他人を超えるには、自分独自のやり方、考え方を実行しなければならない

 私には大きな夢があります。その夢を達成する為に走っています。そこには果てしない大きな夢、世界の桧舞台で私の育てた選手が力を発揮し大輪の花を開かせること。その夢がある限り、私は走り続けます...生きている限り

成功できるかな? ではだめなんだ。何が何でも成功するんだ、という信念があってはじめて成功するんだ

スローペースで走らせるのも大事なのだ

生きているうちに一生懸命にやって、死ぬ時に満足して「いい人生だった。思い残すことはない」と思う。それが最高の生き方だと僕は思うね。そのためにも、もう1回選手に金を取らせてあげたい

仕事が好きで好きでたまらなくて、いつも仕事のことを考えている。それでお天道様が「そこまで好きなら仕方ない。褒美をやろう」というので、僕にくれたのがQちゃんの金メダルだと思うんですね

何でもかんでも褒めればいいわけじゃない。よく「小出は選手を褒めて育てる」と言われるけれど、とんでもない。褒めるだけで人間が育つはずがない。人間はどうしても楽なほうに逃げて、苦しいほうに行きたがらないものです。それをどうやって動かすのか。褒める時もあるし、叱る時もある。アドバイスや注意をする時もある。そういうことをうまく組み合わせて指導するんですよ

いい練習を見つけるため、今世間でやっている練習とは違った物を模索する。もしかしたら、非常識だと言われるかもしれません。非常識な練習が正しければ、結果は出ます。結果が出れば、それが常識となっていくのです

会社にはいろいろな人がいます。能力が高い人もいればそうでない人もいる。けっしてデキる社員ばかりとは限らない。それを嘆いたり、あきらめたりしないで、少しずつでも全員がレベルアップできるように指導したほうが、絶対に楽しいし、会社も発展するはずですよ。そして指導をする時には、社員一人ひとりの個性を見て、それに合わせた方法で指導をする。それができるのが優秀な指導者じゃないのかな。

お互いが幸せになるには、あなたも幸せになってね、私もなるよ、っていう考えじゃないと頂点に行けないんだよ

同じことを言ってても、言葉の言いようによっては、相手の受け取り方が変わってくる。だからこの選手を強くするためにはどうしたらいいか? を十分に考えてから、そこから言葉を発するようにしている

どんな世界であってもいい、好きなものを一つ見つけなさい。そして、夢を失うことなく最後まで持ち続けなさい。夢を持ち続ける限り、心も体も若さも保つことができます

自分で世界一の金メダルを獲るんだって夢があるから、休めないんだよ。やるんだったら命をかけるくらい、そのくらい1つのものが好きにならないと恵みが来ないよ。いいものが出てこない

陸上競技を真剣にやってたら、酒を飲んでいても、家に帰って寝ていても、陸上競技で世界一になるにはどうしたらいいかを考えてるようじゃないと一番にはなれない

一番怖いのは、「あいつは素質がないからダメだ」なんてあきらめてしまうことですね。みんな夢を持ってやっているんだから、指導者は少しでもレベルアップさせて、その夢に近づけてあげないと

褒める時には、お世辞で褒めるんじゃなくて、腹の底からそう思って相手の心に響くように褒める。叱る時には感情的に叱るんじゃなくて、相手が納得できるような意味のある叱り方をする。言葉の役割はものすごく大きいんです。言葉を大事にするのも良い指導者の条件です

僕は子供の頃から、夢が100%実現できているんですよ。「こうなりたい」「ああなりたい」という強い願望を持ち続ければ、たとえ時間がかかっても必ずそこに近づいていけるんです。何事も絶対にあきらめたらいけないんだね。

教員になったばかりの頃から、将来は必ず女子の1万メートルやマラソンができると考えて、どうやったら速く走れるかを考えていました。まだ誰も女子マラソンのことなんか考えていない時代から、いち早く勝てるトレーニング法を考えていたんです。そのうち本当に女子マラソンができて、実際に高校の女子部員にマラソンを教えて走らせてみたら日本歴代3位の好記録を出したので、「これは本腰を入れて取り組めば金メダルが取れる」と確信できました

え?マラソンが強くなるには? それはね、たくさん食べることですよ。今の高校生、やせすぎ。食べなさすぎ。高校までは5000mが速いんだけど、あれじゃ、高校を卒業してから強くならない。絶対だめだよ。すぐに骨折をしちゃうんですね。骨を強くするには、食べること

強くなる、ってことは難しいことだとは思わないんです。何でも、常識はずれ、が大切ですね

何か一つのことをやり遂げようとしたら、ある程度、信念を持って貫かなければ、成功しない

選手は体を使い、指導者は頭を使う。それが、選手育成の大原則だ

人間はやはり、悔しい思いも経験しなければダメだと思う。悔しい思い出の数だけ、人としての力が増すと言ってもいいかもしれない。

本当に陸上が好きなら、神様が同情してくれるくらい好きにならなきゃいかんよ

大胆さと緻密さの両方が必要。怖がっていては何も始まらない

私は、夢や願望は強く持てば持つほどいいと思う

普通の選手は、練習時間が三時間だとすると、初めの三十分や一時間はゆっくり走る。ところが高橋は最初から最後まで決して手を抜くようなことはしない。つねに全力投球する。

牛乳を飲む人より、牛乳を配る人のほうがよっぽど丈夫だ

 『おまえ、くるぶしから下、いい足してる。いいキック出してるね』といったのを覚えている。と同時に『おまえは世界一になれる』と毎日のようにいいつづけたのだ

元気な挨拶こそが、充実した一日の、効果が期待できる練習の、いいスタートを約束してくれる

褒め方もタイミングです。いい事をした瞬間を見逃さずに褒める。だから観察が必要、ただ可愛がるだけではダメです。そしてその子に夢を持たせる褒め方がいい。とにかくどんな子でも褒めるところはある

有森裕子高橋尚子は、1992年のバルセロナ、1996年のアトランタ、2000年のシドニーの女子マラソンでメダルを獲るという大きな山を登り切った。それは小出義雄という傑出した監督の、以上のようなきめ細かなの指導の賜物であることは間違いない。