大分合同新聞の女性活躍。校正。Wedge 5月号に高崎義一さん。からげの聖地・中津。「名言との対話」の遅れを取り戻す。高野山。

中津から博多駅福岡空港から羽田空港。品川、新宿を経て、京王永山。タクシーで多摩大。

途中で、大分合同新聞4月25日を読む。地方に行くと全国新聞と県紙をできるだけ読むようにしている。25日は大分合同新聞を読んだ。「女性」の活躍という視点。

  • 「ひと」欄では中津市初の女性教育長になった粟田英代さん(58)が取り上げられていた。不祥事で辞任した前任者の後任を任された。教育次長からの昇進。大分大学卒業後、中津市の豊田小学校から教員生活を始める。「安心」「英語」。趣味は映画鑑賞と道の駅巡り。写真付き。
  • 大分市の人事異動:顔写真が紹介されている部長級13人の異動のうち、女性は3人。財務部長(59)。子どもすこやか部長(56)。教育部教育監(59)。中枢の財務部長に女性が選ばれているのは特筆に値する。

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次に出す『心に響く名言の暦(平成偏)』の校正。往路から始めたのだが、5月10まで終了。やはり膨大とみえても、コツコツとやっていけばいつかは終わる。

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Wedge ウエッジ」5月号。「新時代に挑む30人」特集。トップは知っている高崎義一さん(ドレミングホールディングスCEO)が2ページで紹介されている。「フィンテックの先駆者が目指す公正な社会」。文章はノンフィクションの児玉博さんだ。

  • 賃金をその日に、しかもスマートフォンにデンシマネーで払い込む。残高は雇用先に提供する勤怠管理システムに記録。。労働者は残高に応じてアプリで買い物ができる。
  • 社会保険料、税金、個人ローンなども天引きされる。生活必需品の購入だけに限定も可能。給料が浪費されることもない。
  • 手数料は企業からもらう。
  • シリア難民対策。イラクサウジアラビア。モロッコベトナム。インド。タイ。ケニア。「ドレミング経済圏」。
  • 搾取なき社会。銀行口座やクレジットカードを持たない20億人という金融難民を救う。
  • 「学歴(工業高校)がなく英語も話せない僕が、世界中を飛び回り人を動かせるんだから、誰でもできる」。

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総研で秘書の近藤さんと打ち合わせ。

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夕は、テレビで中津は「からあげの聖地」と紹介されていた。先日カラオケで一緒だった女性専務の「むらやま」がでていた。夜は、中津滞在中に遅れた「名言との対話」の遅れを取り戻す。22日の船戸与一。23日の衣笠祥雄。24日の長谷川一夫。午前0時終了。やれやれ。その後、テレビで「高野山」の番組をみる。今年はいかなきゃ。6キロX3キロ。

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「名言との対話」4月25日。田端義夫「奇跡じゃない。執念だ」

 田端 義夫(たばた よしお、1919年大正8年1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本歌手ギタリスト

 高等小学校を中退。12歳から鉄工所で働く。トラホームにかかかり、16歳ころには右目がみえなくなった。薬屋、菓子屋、鉄工所などで働き、19歳で吉本興業主催の「アマチュアコンクール」で優勝し、状況。ポリドールのテストに合格。20歳、デビュー曲「島の船唄」が大ヒット。

戦後、復員兵士が涙を流して聴き入っているのを見て、「ああ、私の歌で涙を流す人がいる。歌手をやっていて良かったな、生きていて良かったんだな」と思った。44歳では「赤い蘇鉄の実も熟れる頃 加奈も年ごろ 加奈も年ごろ 大島育ち」で始る「島育ち」が大ヒット。

1970年、59歳で「私があなたにほれたのはちょうど十九の春でした」から始まる「十九の春」で、レコード大賞・特別賞を受賞し、「バタヤン、奇跡のカムバック!」と報じた。本人は、「奇跡じゃない。執念だ」と心の中で叫ぶ。「歌手と歌との巡り会い。果報は寝て待っていてはこない。明日に燃えてる執念が名曲との出会いにつながるのだ」という。「心を込めて、新しい曲を仕上げる。詞、曲、歌手が、バッチリそろったものが大ヒットする」のであり、執念ぐ深く、歌を追い求めた結果なのだ。

「同じキーで歌えなくなったら歌手は辞める」という強い信念から、生涯すべてキーを下げず歌った。1日1時間の発声練習は欠かさず行い、タバコは一切吸わなかった。「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」と考え、「90歳までは歌う」と公言していた。1991年の72歳の時の出版自伝『オース! オース! オース! バタヤンの人生航路』を読んだ。それから20年近い歳月を経て、2009年の元旦(田端の満90歳の誕生日)に歌手生活70周年を兼ねた記念アルバムを発売しており、公約を守っている。

「十九の春」をユーチューブで聴いてみたが、2オクターブを行き来できる、味のある丁寧な歌い方で心に響く。田端自身の19歳は、丸刈りのま歌手を目指して上京。夢と希望に燃えながら、ポリドールレコードの吹き込み所でオーディションを受けていた。4回結婚し3度離婚し、最後は親子ほど年の違う妻を迎えているが、歌についていえば、田端義夫自身はもとの十九に戻してもらう必要はなかったようだ。