小野二郎「ある編集者のユートピア」--「70歳まで生きたい。70歳まで生きないとおれの仕事は格好つかない」

小野二郎(1929-1982)。弘文堂で編集活動を開始し「現代芸術論叢書」を立ち上げる。晶文堂を立ち上げて、60年代から80年代にかけて出版文化に影響を与えた。ウイリアム・モリスのユートピア思想に基づいていた。「私はモリス研究家ではなく、モリス主義者である」と小野は宣言している。52歳で早逝したのが惜しまれる。「70歳まで生きたい。70歳まで生きないとおれの仕事は格好つかない」。「今日のわれわれの問題ひとつひとつをモリスだったらどう考えるかを考えるのが、自然な私の習慣になっている」。「そごう美術館」で始まった「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」も観るつもり。

小野二郎「人脈を大事に育てる才能」「大胆で冒険的かつ細心の編集者」「百科全書を身体に詰め込んだような人物」「ユートピアン」。

・東大大学院で島田謹二(1901-1993)に師事。弘文堂の2年間で37点を出版。新進の若手を抜擢。谷川俊太郎大岡信谷川雁澁澤龍彦、、。多様な企画。現代芸術論叢書12点と講座近代思想史9巻。

・昌文堂設立。週2-3日の大学教員と編集者(出版社役員)の両立というスタイル。文芸書と学習参考書の二本立ての経営。津野梅太郎、長田弘平野甲賀

・モリスンの法則。本のページ(奇数)の余白は、右、上、左、下の順序で広くする。「モリスだったらどう考えるか」。43-43歳で在外研究員としてロンドンで調査。モリスは詩人、デザイナー、社会運動家。装飾芸術の復興。モリス商会。53の美しい書物を制作。

・盟友の中村勝哉社長の回想。「小野を大編集者、大思想家にしよう」と考えていた。「70歳まで生きたい、70歳まで生きないとおれの仕事は格好がつかない」。「全集はいらない。だれのものであれ、よく考え抜かれた選集の方が役に立つ」。「理解の速さ、分析の鋭さ、視野の広さ、評価の高さ」。「もっとも尖端的で、同時にもっとも伝統的なもの、要するに語の根源的な意味でのラジカルな出版物を出したい」。

これだけの膨大で、かつ質の高い仕事をなした小野二郎は、52歳でこの世を去った。高血圧のまま、心筋梗塞で急逝した。30年の仕事人生だった。あと20年あったら、どれだけのものを遺したか。その無念さに同情する。仕事は長く続けなければものにならない。やはり、健康管理が重要だ。

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・「名言の暦」の校正。第一段階は11月、12月も終了。連休中に不明なところを確認。

下重暁子「年齢は捨てなさい」(幻冬舎新書)を読了。「もう年だから、とうたびに醜くなる」「鍼、灸、ジム、精神安定剤、2食」「牡丹散る今日一日を生ききって」「国際文化会館の図書室が隠れ家」「句会」「品のいい着こなし」「一日10枚」「人間観察」「肉食」「自由になっていく」

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・娘と孫2人来訪。

・書庫にした離れ(カシータ)に初めて寝る。過去の読んだ本と訪問した美術館・記念館の大型冊子に囲まれて就寝。豊かな気持ちで静かで寝入る。

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「名言との対話」。5月3日。長田弘みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」

 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人児童文学作家文芸評論家翻訳家随筆家

早稲田大在学中の1960年、詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1965年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以来詩人として活躍する。代表作は児童向けのロングセラーとなった散文詩集『深呼吸の必要』。

詩と詩人について。「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」「墓碑銘を記し、死者を悼むことは、ふるくから世界のどこでだろうと、詩人の仕事の一つだった」「描かれていない色を見るんだ。聴こえない音楽を聴くんだ。語られない言葉を読むんだ」「たのしむとは沈黙に聴きいることだ。木々のうえの日の光り。鳥の影。花のまわりの正午の静けさ」

読書について。「本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう」「ゆっくりとした時間をとりもどす、それが読書の原点なんです。たとえば、再読のたのしみ」(「梅棹忠夫著作集」を毎日少しづつ読んでいる。良書を読む、再読するたのしみ。)

時間について。「瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ」(今日も生涯の一日なり)

大人について。「ふと気がつくと、いつしかもう、あまり「なぜ」という言葉を口にしなくなっている。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、ひとりの子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ」「『なぜ』と元気にかんがえるかわりに、『そうなっているんだ』という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。・・・そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。(「なぜ」、と考えることが少なくなった。好奇心をふるいおこそう)

小野二郎の資料を読んでいるうちに、10歳若い長田弘という名前が出てくる。新日本文学編集部にいた津野梅太郎に続き、津野の友人の長田が美術出版社から晶文社の編集部に入る。そして、晶文社の編集体制が確立する。

みえてはいるがみえていないものを見えるように言葉であらわすのが、詩人である。論理ではなく、全体と本質をわしづかみにする直観を言葉に載せることができるのが詩人だろう。風はみえない、しかし存在する。その風に色をまとわせて見えるようにするのが詩人だろうか。