午前、多摩大。午後、地研。

午前:多摩大総研で秘書とスケジュール調整。公平課長、渡辺さん。

午後:銀行廻り。三井住友、七十七銀・東京。

午後から夕刻:地研にて。

・編集の大泉さん、八木下さん。

・福島さん「ちけんエディトリアルミーティング」。

・池淵さん「鮎川儀介と日産コンツェルン研究会」。「鮎川儀介先生追想録」を借りる。

・落合社長:6月出版の拙著のタイトルは「歴史に残したい平成時代の名言集366」と決定。今後の動きを確認。

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以下、書きかけ。

「名言との対話」5月13日。坂倉芳明「信用はつくるのは時間がかかるが、こわれるときはもろいものですね」

坂倉 芳明(さかくら よしあき、1921年(大正10年)10月29日 - 2014年平成26年5月13日)は、日本経営者

慶應義塾大学卒業後、三越に入社。「動の岡田茂」と「静の坂倉芳明」と社長候補と称されるが、岡社長が実現すると疎んじられ退社。知己であった西武の堤清ニの要請で1974年に商売敵の三流デパート・西武百貨店に副社長。1977年に社長となり、池袋店が三越本店を抜き、売上高日本一となった。後継者づくりに取り組んだが、堤と対立し「私の役割は終わった」と1984年に退社する。岡田茂の解任に伴い、収拾のため古巣の三越に顧問として復帰。1986社長。1995年から会長。バブル期のゴルフ場開発に失敗し1997年に引責辞任した。若い頃から「三越のプリンス」と呼ばれていた坂倉は、紆余曲折を経てキングになった。

 1985年に出版された『日本のアイアコッカ三越坂倉芳明の逆襲』(上之郷利昭)のテーマは、「坂倉は、はたして日本のアイアコッカになれるか」がテーマだった。アイアコッカはフォード社長を解任され、クライスラーを奇跡的に復活させたアメリカの英雄である。その期待と疑問は、わずか2年後に坂倉社長の実現で回答がでた。当時は、「ジェットコースター人生」、「逆転人生」、「敗者復活の星」ともてはやされた。

坂倉には人がうなるような名言がなかなか見つからない。人柄も面白くないとも言われる。「守りの人」、「理路整然」、「クールで明晰」、「ブルドーザー的手腕」、「知将」、「直言居士」、これが坂倉の特徴である。この冒頭に掲げた「信用」に関わる発言は、坂倉が西武時代に、古巣・三越の一連のスキャンダルによる老舗のイメージダウンをみての発言だ。その三越は、2008年にライバルであった伊勢丹と経営統合するが、派閥抗争があり、2017年に伊勢丹出身の「ミスター百貨店」と呼ばれた大西洋社長が解任された事件も記憶に新しい。大西さんは多摩大でゲスト講師としてきていただいた直後だったから驚いたものだ。人事抗争を繰り返しながら経営体は進んでいく、、、。

出処進退の難しい立場を潜り抜けて疾走した坂倉芳明の最後の失敗はともかく、このようなサクセスストーリーは、日本のビジネスマンに勇気を与えたことは間違いない。

日本のアイアコッカ―三越・坂倉芳明の逆襲

日本のアイアコッカ―三越・坂倉芳明の逆襲