鮎川義介語録ーー「自分は喜寿の祝いもしなかった。米寿の祝いもしてもらうつもりはない。百歳になったらして貰うつもり」(『鮎川義介追想録』から)

鮎川義介追想録』から。

鮎川義介は、かつての日産コンツェルンの創業者。10数年で三井、三菱を凌駕する企業連合体をつくった事業家。渋沢栄一が日本資本主義父と呼ばれているが、鮎川はもう一人の父である。日産自動車、日立制作所、日本鉱業日立造船日本水産、日本冷蔵、日本油脂、日産化学、日産火災、日産生命、日産農林、帝国石油石油資源開発などがその傘下にあった。546ページの追想録を読了した。以下、追想を書いた人たちの文章にあった鮎川義介語録を記す。

  • 人間は頭から老化してゆく。私の長生きの秘訣はひとのできないようなむずかしい仕事に真正面からとり組んで頭を使うことである。
  • 最後の思想の結晶は人づくり。真の日本人をつくることだ。
  • 人間は身に職を付けておかないと、有事の際には門閥も財産も何の役にも立たぬものだ。
  • 人が金を借りに来たら、いってきた額の倍を貸してやれ。
  • 人は七癖といって誰しも欠点はある。然し良い癖は利用し、悪い癖は出せぬような立場にその人を置くことが肝要だ。
  • 人間は反発心が大切である。
  • 積善有余慶栄枯立可須
  • 何事も困難に押し詰まらなければ途開けないものだ。
  • 役人を六年以上やった者は将来使いものにならぬ。
  • 自分の頭のなかは蜂の巣の様になって居る。
  • 私は金最も有効な使い方は人造りだと信じておる、だが金を惜しんではそれは出来ません。
  • いくら事業を大きくやっても、人の世話が出来んようなことではつまらん。
  • 自分は喜寿の祝いもしなかった。米寿の祝いもしてもらうつもりはない。百歳になったらして貰うつもり。
  • 人を訪問する時は、手みやげを持って行くものだ。
  • 生涯の中でたた一度でよいから私の為に尽くしてくれればよい。それを評価して私は人の面倒を見ることにしている。
  • 人間は死んでから後が稚拙だ。俺が死んでから、俺のやったことについて必ずわかってくれる。
鮎川義介先生追想録 (1968年)

鮎川義介先生追想録 (1968年)

 

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ジム:筋トレ30分、スイミング300m。バス。

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「平成命日編」5月19日。竹中労「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」

竹中 労(たけなか ろう、本名:つとむ、1928年3月30日 戸籍上では1930年5月30日- 1991年5月19日)は、日本ルポライターアナーキスト評論家 

 『決定版 ルポライター事始』(1981年の『ルポ・ライター事始』を再編集し1999年に発刊した)では略歴を自分で記している。「旧制甲府中学校放校、東京外語専門学校(現外語大)除籍、、、、、革命の夢に憑かれて逮捕歴をかさね、1952年ついに投獄された。刑余浪々、沖中士・土工・ガリ版印刷・業界紙の広告取りetc、肉体&知的職業底辺を餓えた犬のようにさまよった。1958年「東京毎夕新聞」入社、文化部長待遇二面デスク、風俗ルポ・艶笑コラム・食べある記・ストリップ評判記等々を担当」。巻末に「竹中労の仕事」が掲載されている。著書71冊。以下、主なものだけでも、共著など27冊。音盤48.映像15.イベントなど46.ラジオ・テレビ18。

「ほんらい、思想・表現・言論の自由は、無名の文筆ゲリラの回路をとらねば貫徹できない」「職業とは生活の手段である。だがそれは同時に(それ以上に)、人がおのれの望みをいかに生きるかという試練の場なのである」「役者や歌い手が名士であり社会に公認されたエリートであるがごとき野郎自大な錯覚から芸能界のなべての痴愚は生まれてくる。いえばそれは、戦後民主主義に腐食されて唯物功利のヤバン国に堕ちた、日本の姿をうつす鑑である」「トップ屋のネタは新聞の片隅にある」「ようするに読者とは野次馬だ」「有名人の噂や醜聞は、庶民大衆の娯楽である、奪うべからず」「多くの芸能人の著作はゴーストライターが書いていると、著名は人々を実名であげている。代作で文芸家となることを恥とも思わぬ神経は狂っている」、、、、、

1958年の上京以来、一刻の安息もなく、未来へ向かって一文の貯えもなく、五十の坂を越えてしまった、と竹中労は爽快な心境を語っている。 家なく、一文の貯えもなく、ルンペン生活に窮する日々。貧乏神を生涯の伴侶とし、火宅を終(つい)の栖(すみか)としたところに、ルポライターという職業のよろこびがあるという。初志を曲りなりに貫徹してきたこと羽根飾りを、箙(えびら)にさして死にたいという男の心意気なのである。

 えんぴつ無頼、トップ屋稼業、よろず評論家と自らを称した竹中労は、「三文文士」にルポライターというルビをふっている。竹中労は、群れることを嫌った。底辺で群れるから力を持ちえないのであり、独りで歩くから力がつくのである、とルポライターを目指す若者に強烈なメッセージを送っている。

この恐るべき本『決定版!ルピライター事始』のパート1は「ピラニアよ、群れるな!」であり、パート2は「わが名は、ゴースト・ライター」であり、パート3は「ストリート・ジャーナリズムの黄昏」である。そしてパート4は、「探険への旅立ち、、」だ。その探険には「ルポルタージュ」というルビをふっている。探険ではなく、探検だと私は言いたいところだが、竹中労はわかっていながら意識して「険」という文字を使った確信犯だろう。危険を冒しながら対象を探っていく、それがルポライターだと喝破したのだ。 

決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)

決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)