学部の授業:テーマは「大学生の国語力低下を憂う」。大学院の授業:テーマは「令和を歩む」。

午前:学部の授業:テーマは「大学生の国語力低下を憂う」。

橘川さんと懇談:アイデアをたくさんいただいた。タイ。富士山。編集。起業。

午後:出版社:全集10巻。編集学校。取材予定。

品川の整体でカラダのケア。

夜:大学院の授業:テーマは「令和を歩む」。経団連の中西会長。米ハーバード第のエズラ・ボーゲル名誉教授。ソニーの平井会長。国立情報学研究所新井紀子教授。メディアアーチストの落合陽一。小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長。

以下、講義終了後の感想。

  • 今回の演習で、記事にある重要と思われるKey Wordを探して行く中で、その言葉が「大海の中から浮揚ってくる感じ」について、理解することが出来ました。また、文章全体の構成と各内容の相関関係を図解する手法のイメージが掴めました。著名な方の文章であっても、内容と構成自体が理解できず、文字数が限られている記事において、編集者のスキルが大きく影響しているのかもしれません。が、最終的にはインタビューされる側の確認があると考えると、何気なく読んでいる記事に要注意ですね。演習(訓練)が大切なので、継続して実践していきます。今から深夜2時の便でシンガポールへ出張します。行ってきます!
  • 今回の記事は日本人ではない、どちらかというと日本贔屓な米国人から日本人へのアドバイスの図解をした。内容は新鮮なものではなく、周知されている事だったが、母国でない方から背中を押されたような気がした。 「そう思います?そうですよね。」と図解しながら確認でき、先生のアドバイスにあったように中国以外のインド、OZ、欧州についての関わり方にも視点を向ける良い機会になった。そんな記事を見つけたら図解してみようと思う。ところで先週、日経WOMAN EXPOのセミナーに参加した時の図解をご紹介します。働く/学ぶ/遊ぶをライフイベントによって自在に変えながら継続する事でバランスの良い生き方ができる事を示すものです。シンプルですが、わかり易い表現をされていると思いました。
  • 本日の授業では、全員がそれぞれ違う令和についての新聞記事を図解しましたが、普段読まない文章も、図解にすると理解ができ、更に疑問が浮かび、興味のないものでも気になって調べ、知識が身につきます。そして、図解したものを発表し、皆さんに意見をいただきましたが、更に疑問が広がりました。日本は令和という時代をどのような時代にしたいのか、他方からの考えを聞いても結局解決できていないのではないかと思いました。この記事から伝えたいことがわからない、というのは、本人らしさがなくなってしまっているからという感じがしています。何がその人らしさなのか、それを受け取ることができる文章であれば、伝えたいことが伝わるのだと実感しました。私らしい文章とはどんなものなのか?考えていきたいです。

  • 令和の時代について、私は小西美術工芸社社長のデービッド・アトキンソン氏の記事について図を作成しました。文章でも比較的わかりやすくまとまっている内容で、重要な部分は図で表現しやすかったですが、詳細な情報をどのように関係づけるか?実現できませんでした。また、図で表現してみるとすでに京都のようにインフラが整備されているエリアと東北地方などのインフラが整備されていないエリアをわけて予算の比率を考える必要があることに気がつきました。予算配分の具体的な数値があると良いと思いました。他に方の令和の時代についての発表を伺っても日本は両手放しで明るい内容は無く、平成で進まなかった改善の後始末をするイメージで残念な気分になりました。
  • 【全体の構造をとらえる ⇒ 各部の形を工夫する】。【図解にすると、興味と疑問が次々に湧き出る】。今日の講義では、前回から2週間で図解について各自が考えたことをシェアするところからスタートした。恥ずかしながらとっさに図解のことが思い浮かばなかったので、最近読んだ梅棹先生の知的生産の技術について話しをした。先生からのコメントで先生は梅棹先生の全集を読み直していると伺った。私は、文明の生態史観と知的生産の技術しか読んだことがない。どちらもわかりやすく、参考になり、目から鱗的なおもしろさがあった。いつか全集も手に取ろうと思った。図解について、その場では思い浮かばなかったが、 この2週間を思い起こすと、東京博物館の東寺展に足を運び、空海が構想したといわれる東寺の立体曼荼羅と、2つの(平面の)曼陀羅の写しをみた。「曼荼羅こそまさに図解だ!」と講義の途中でハタと気が付いた。立体曼荼羅について、書きたいことが多少あるが長くなるので、割愛する。(既に長いが)さて、講義の話に戻る。今日のメインテーマは、新聞記事の図解だ。令和をテーマにして、著名人がリレー形式で連載している「令和を読む」からピックアップしていただいた記事から、各々違う記事を選び図解にして、各自プレゼンをする。私は荒井紀子氏の「AIに勝る読解力 養う」を選んだ。前回の講義で学んだ、「全体の構造をとらえる」という点を意識して、図解のプロセスを工夫した。まずは、先生から教えて頂いた5ステップを行う①目で読む、これは全体をざっとでOK②手で読む、ここでは重要な部分にどんどん線を引く③キーワードを囲む、重要な部分の中にある中心的な言葉だけを絞り込み丸で囲む④立体的に眺める、海(文章全体)を空から眺めて、丸で囲んだ島(キーワード)の関係をとらえる⑤白紙に書き込むここまでが先生に教わったことだ。今日は、⑤を3つのステップに分けてみた。⑤-1 【落書き】自由に白紙に書いていく。下書きよりも前の項なので、気軽にどんどん書く⑤-2 【構造化】全体の構造を構成する。落書きで手を動かすとアイデアが浮かぶ。
    イデアを吟味して、詳細は無視して、全体の構造を決める。⑤-3 【精緻化】全体の構造から詳細に落とし込んでいく。全体構造は大きく書いておく。詳細は少々小さい字でも良い。小さくても、書いていないのとあるのでは、理解度が大違い。精緻化が意外と理解のキモになる。⑤のステップを3つに分けたことで、前回に比べて構造をしっかりと捉えた図解ができたと自己評価している。次に課題に感じたことは、「各部分の形」の工夫だ。これは、小西さんのアドバイスいただいた点でもある。必要なスキル、というのが頭の形になっているとわかりやすい!とのコメントを頂いた。なるほど!>>小西さん 素晴らしいアドバイスを頂きありがとうございます。また、皆さんの図解をみていても、文章で読むときには思いつかないような興味や疑問が次々に湧いてくる面白さを感じた。図解にすると、興味と疑問が次々に湧き出るようだ。次回は、AIに負けない創造力を発揮して?「各部分の形」を工夫できるようにしたい。

  • 関係を図で表現するのは先生を教えていただいた本質を見極める方法です。一見して簡単に見えますが やってみると気付かされたところが少なくないんです。最初はテマの中心にあるべきことを決めらなければならない。その後 ものに関係あることを書く。最後にどうな関係を明確にする。そうすると 中心にあるものを見直すことができる。常識の取らないようにするの方法と言える。中心にあるものを再定義することができる。それで、ものの役割あるいはものの可能性が見えてくる。それが問題解決能力の改善につながっていると考えている。それが知識創造とも言える。それが新しい可能性あるいは発展方向にヒントを与える。いまの時代は変化が起きやすい。環境の変化につれてものの役割がかなり変化する。価値が関係の中で生まれるものから。環境が変わっているので 常にものを見直しなければものの潜在能力を発揮できない。場合によって存在そすらできない。起きたことを気を配れってどうな影響をもたらすかを見極めることが必要とされる。起きたことと存在しているものの関係を明確することによって存在しているものを見直すことができる。世界を広げるように感じる。これが図を書くの力である。(留学生)

  • 今回の講義、ありがとうございました。感想について、述べさせていただきます。今まで先生から教えてくれたのことを実践して、それぞれのメンバーは自分の図解をみんなに紹介してあげるのは今回の課題です。その中に気づいたことは、やっぱリ図解してるうちに、ちゃんと詳しく調べていませんでした、その後精一杯を説明しようとしても、どうしてもうまく説明できず、しっかり課題を完成させようという気持ちは大切なんです。また、日本の歴史についても勉強不足です。令和と平成の時間で日本はどういう状況か、把握していなくて、図解の時間軸を間違えました。もう一度日本の歴史を学ぶべきだと思っております。ところで、今回の講義で皆さんは結構盛り上がって、雰囲気すごくいいと感じました、恥ずかしいもなく、遠慮なく、お互いに聞いたり、質問したり、これこそ知識を身につけることに繋がります。この講義を選んで良かった。これからは図解をたくさん場面で使えるように頑張りたいと思います。よろしくお願い致します。(留学生)

帰宅途中の風景:串揚屋でオダあげる人たち。ビジネスマン帰宅へ。

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「名言との対話」5月24日。大場みな子「結婚生活を退屈させない唯一の方法は、双方が全力をあげて伸びようとすることである」

大庭 みな子(おおば みなこ、1930年11月11日 - 2007年5月24日)は日本小説家

敗戦の夏、原爆後の広島市に救援隊として動員される。19歳で夫になる大場利夫と出会う。津田塾大学卒業後、25歳で結婚。小説を書き続けることが条件だった。29歳、夫の赴任先・アラスカで本格的に執筆を始める。11年間の滞米中にアメリカ各地を旅する。32歳、ウイスコンシン州立大学の美術科、大学院生としてマジソンに住む。38歳アメリカの市民生活を描いたデビュー作『三匹の蟹』で、群像新人文学賞芥川賞を受賞した。40歳、アラスカを引き揚げる。41歳、夫と共にインド、アフリカ、欧州、南米、カナダを旅する42歳、東南アジアに旅。43歳、アメリオレゴン州に滞在。46歳、アラスカを訪問。47歳、スコットランドを旅する。48歳、沖縄、八重山諸島を旅する、欧州諸国をめぐる、韓国を旅する。49歳、オレゴン州に交換教授として3か月滞在。50歳、アイオワ大学に滞在し、アメリカ各地を旅する。53歳、スウェーデンを訪問。54歳、中国を旅する、バリ、ジャワを旅する。56歳、中国を2度訪問。60歳、夫と共に欧州諸国を旅行。63歳、渡米しラトガース大学等で講義、ドイツのケルンで朗読会。64歳、ケンブリッジの英国作家会議に出席。65歳、シアトル旅行、日中文化交流代表団として訪中。69歳、アラスカを訪問。72歳、ハワイ旅行。76歳、夫に見守られながら逝く。

1968年 - 『三匹の蟹』で群像新人文学賞芥川賞。1975年 - 『がらくた博物館』で女流文学賞。1982年 - 『寂兮寥兮(かたちもなく)』で谷崎潤一郎賞。1986年 - 『啼く鳥の』で野間文芸賞。1989年 - 「海にゆらぐ糸」で川端康成文学賞。1991年 - 『津田梅子』で読売文学賞(評論・伝記部門)。1996年 - 『赤い満月』で川端康成文学賞(二度目)。2003年 - 『浦安うた日記』で紫式部文学賞。以上は華麗なる受賞歴である。

1987年から河野多惠子と共に芥川賞初の女性選考委員となり、1997年まで務めた。1991年日本芸術院会員、その他日本ペンクラブ副会長、女流文学者会代表などを務めた。

1996年66歳で脳梗塞で倒れ、左半身不随で車いす生活になった。その後は夫の協力を得て、口頭筆記で著述を行っていた。夫の利雄は、この介護を題材とした手記「終わりの蜜月」を発表している。全集は生前と死後の2回出ている。

「幸福な結婚というのは、いつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である」「結婚における友情は必要条件ではあるが、十分条件ではない」

大場みな子の人生を眺めると、常に夫が寄り添っていることがわかる。小説を書き続けることを条件とした結婚、機会をとらえて外国旅行敢行し見聞を広めて成長していく姿、闘病生活の中でも口述筆記という夫の協力で執筆を続け、最後は夫に見守られながら去っていく。夫が仕事の中で伸びていくのは当然であるが、妻である大庭みな子もチャンスを縦横に使って自身を成長させていく。「全力をあげて」という言葉に強い意志を感じることができる。この人の小説には縁がなかったが、生き方に興味を持った。人生観が如実に出るエッセイを読んでみたい。

 

 

 

 

 

結婚生活を退屈させない唯一の方法は、
双方が全力をあげ伸びようとすることである。