アイヌ資料センター。

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平取の萱野茂二風谷アイヌ資料館を訪問できなかったので、代わりに札幌市内にあるカデル27というビルの7回にある「アイヌ資料センター」を訪問した。

1869年(明治2年北海道開拓使を開設。1885年、アイヌ96名を色丹島強制移住。1985年、ロシアと樺太千島交換条約を締結。アイヌに対して3年の間にロシアか日本の国籍を選ぶように迫る。海の民・樺太アイヌ854名を帝国臣民として北海道に強制移住させ、内陸の江別対離に移す。1905年、日露戦争南樺太が日本領になると、ほとんどのアイヌ樺太に帰郷した。

国内におけるアイヌに関わる法律の推移。1899年、北海道旧土人保護法。農耕民化と教育による同化が目的。1997年、アイヌ文化振興法。民族として認めた画期的内容。アイヌ文化の振興と普及開発に限っている。

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 北大植物園は、月曜日なので休み。正式には北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園。札幌農学校のクラーク博士(教頭)の進言でできた。初代園長は宮部金吾で1886年に原形ができた。この宮部金吾の記念館も園内にあるのが、見れない。

旅行者にとっては、月曜日は鬼門だ。ほとんどの博物館、美術館、記念館が休館だ。「月曜日開館のミュージアム」というサイトもある。このサイトで見つけたのがアイヌ資料センターだ。他の曜日と半々にするとか、何か工夫はできないのか。観光立国が泣く。

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20代後半の2年半千歳空港に勤務していた。札幌はしょっちゅう訪れていたし、北海道全域はくまなくとまではいかないが、旅行した。豊かで美しい大自然を堪能した。青春の日々を思い出しながら歩いた。その記憶をたどるいい時間を持てた。この3泊4日は、ある種の感傷旅行になった。

北海道の人物記念館の訪問は、坂本九想い出記念館を加えて9館となった。関口雄輝美術館。有島武郎旧邸。渡辺淳一文学館おおば比呂司記念室。三岸好太郎美術館。。エドウィン・ダン記念館。大山由之美術館。

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 「名言との対話」6月3日。丸谷金保「慌てず 焦らず 諦めず」

丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年6月25日 - 2014年6月3日)は、日本の政治家。

北海道中川郡池田町町長、参議院議員(2期)などを歴任した。明治大学卒。十勝日日新聞編集局長などをへて、1957年に37歳で池田町の町長に初当選、北海道で唯一の社会党町長。町長を5期20年つとめた。1977年に第11回参議院議員通常選挙に当選し国政に転出し、町長時代同様に日本社会党に属した。2期12年務めた後、1989年政界から引退した。

町長在職中に十勝ワインを開発し、全国的に有名になる。「ワイン町長」の愛称があるほど話題になった。金谷町長のことは、当時のメディアで何度も見かけている。私も北海道勤務時代は、町経営のレストランでワインを味わったこともある。名物町長であった。

ワインレッドの御影石の墓石には、「慌てず 焦らず 諦めず」のフレーズと「ワイン町長 丸谷金保」とも刻まれている。自宅は「丸谷金保記念館」と名付けられた。

十勝町のワインは、一村一品運動のさきがけであった。「慌てず、焦らず、諦めず」という丸谷金保座右の銘は、しだいに熟成していくワインを思わせる20年にわたる町長時代を彷彿とさせる。「慌てず、焦らず、諦めず」は、人生100年時代に生きてくるフレーズになるだろう。