一般社団法人社会開発研究センター評議員会。一般社団法人日本総合研究所評議員会。

 午前:大学で打合せ

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午後:赤坂。

・13時半。一般社団法人社会開発研究センター評議員会。藤村会長、松岡理事長、森専務理事。ふくしま総合災害対応訓練機構、、。

・15時。一般社団法人日本総合研究所評議員会。「社会性と事業性」。2020年に創業50周年。ジェロントロジーは協賛8社、パイロット事業へ。幸福度ランキングは5冊目。

終了後、野田一夫先生の92歳の誕生日を祝って乾杯!

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 天明先生とは久しぶり。「人間力大学」。宮城大同窓会をやろう。

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 「名言との対話」6月24日。早川徳次「自分で苦しんで考えたことは深いんですよ」

早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年明治26年)11月3日 - 1980年昭和55年)6月24日)は日本実業家発明家総合家電メーカーシャープ創業者。

 1912年(明治45年)、ベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」を考案し独立。水道自在器を発明して特許を取得し、こちらも大ヒットした。1916年、繰出鉛筆(後のシャープペンシル)を改良し、プロペリングペンシル、スクリューペンシル(軸をひねってを出す機構だったため)、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」(“Ever-Ready Sharp Pencil”:常備芯尖鉛筆)、最終的にシャープペンシル(早川式繰出鉛筆)となる。

1925年大正14年)4月に国産第1号機の鉱石ラジオ受信機の開発に成功する。1929年昭和4年)には遠距離でも受信可能な交流式真空管ラジオを発売した。1953年(昭和27年)2月のテレビ放送開始を前に、国産第1号テレビTV3-14Tを発売した。1962年(昭和37年)には国産第1号電子レンジを発売。

以上のように、「まねされる商品をつくれ」が口癖であった早川徳次は、次々とヒットを飛ばす発明家であった。その結果が総合電機メーカー「シャープ」の誕生であり、早川は日本のエジソンと呼ばれた。

1990年 - 2009年までは、コピーライターの仲畑貴志が書いた「目の付けどころが、シャープでしょ」が、私の印象に残っている。シャープの新製品を後荒から松下電器が出してヒットすることが続き、松下は「マネシタ電器」と揶揄されることもあった。コードレスホンワードプロセッサ電子手帳(後のZAURUS)なども話題を呼んだ。早川以後の2代目佐伯旭以降の歴代社長以下の活躍にみるように、この会社は確かに目のつけどころがシャープだった。

冒頭の言葉の前には、「教わって覚えたモノは浅いけれど」がある。覚えるのではなく、自分で考えることが大事だと早川徳次の発明人生は教えてくれる。