新著『平成時代の366名言集』の見本が到着ーー平成の著名人が遺した珠玉の名言・金言集。

新著『平成時代の366名言集』の見本が到着。667ページの大著となった。

2017年発刊の『命日編』、2018年の『誕生日編』に続く第3弾。命日編は478ページ、誕生日編は550ページ。だんだん気合が入ってきて、毎年100ページづつ増えている。 

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はじめに

 日本地域社会研究所から刊行する私の「名言」シリーズは、2017年の「偉人の命日366名言集」、2018年の「偉人の誕生日366名言集」に続いて、3冊目になります。

 今回は時代も平成から令和に変わる時期でもあり、個人として平成を送るという意味合いから、平成の30年に亡くなった人物を取り上げることにしました。当初予想した通り、対象期間が短いことから難航したのですが、何とか完遂できました。それがこの『平成時代の366名言集』です。

 平成の時代に亡くなった人たちは、同時代を生きた人でもあり、「偉人」という範疇で論じるべきか疑問もあり、「時代」として選別しました。

 取り上げた人物にはまだ時間がたっていないこともあって、私が訪問し続けている人物記念館がある人はほとんどいません。そのため自伝、伝記を中心とした書籍を中心に、毎日のように資料を読む込む日々が続きました。巻末の参考文献が膨大なのはこのためです。

 また、過去の2冊は近代中心ではあっても、よく知られている著名人が多く、毎日の人選にはそれほど苦労はなく、その人とどう向き合うかが主要なテーマでした。しかし、平時時代に亡くなった人に絞ると、人選自体に困難がありました。そのため私自身も名前も聞いたことのない人を選ぶことになる。そして芸能も含め全く知識のない分野もその都度、強制的に勉強するはめになりました。そのことで、近年にも偉い人がずいぶん存在したこともわかり、知らなかったことに恥ずかしくなったことも度々でした。その結果、少しは教養が身についた気もしています。2019年も、「平成編」を毎日、継続中です。この「修行」は人選も含め、今年はさらに困難な旅となっています。

 「人の偉さは人に与える影響力の総量で決まる」という、人物記念館の旅から得た結論からいえば、取り上げた人物たちはやはり「偉い人」です。周囲に深く、同時代に広く、そして長く影響を与えた人たちです。

この書には「歴史に名を残したい 人生が豊かになる一日一言」というサブタイトルがついていますが、この言葉は書いている私自身の感慨でもあります。毎日の早朝の彼らとの対話の時間は、至福の時間でした。この習慣はずっと続けていきたいと思っています。                         

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2018年、2019年は、「名言との対話」を書くために自転車操業のように、毎日、自伝・伝記などを読み続けている。『一日一冊の読書術』でも、書こうか。

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大学:授業の準備など。

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「名言との対話」6月26日。ハワード・ベーカー「大統領閣下、日米関係は今、最良だと思います。しかし、同時に高度な維持作業(High Maintenance Opereation)が欠かせません」

ハワード・ヘンリー・ベーカー・ジュニアHoward Henry Baker Jr.1925年11月15日2014年6月26日)はアメリカ合衆国政治家。

アメリカ連邦上院議員テネシー州選出、1967年 - 1985年)。上院で少数党院内総務1977年-1981年)、多数党院内総務(1981年 - 1985年)を務める。その後レーガン政権で大統領首席補佐官1987年 - 1989年)。ジョージ・W・ブッシュ政権で駐日大使2001年 - 2005年)。

ベーカーと言えば、湾岸戦争時の国務長官というイメージが私には浮かぶが、ここで紹介するのは父ブッシュのもとで国務長官などの顕職をつとめたジェームズ・ベーカーではなく、息子のハワード・ベーカーだ。息子は議会人として常に国益を重視し、必要ならば「超党派の精神」に則って行動することを信念としていた。ウオーターゲート事件では同じ共和党ニクソンを厳しく追及し、党利党略ではなく、「超党派」の信念を貫き、「偉大な調整役」とも呼ばれた。

何度も大統領候補として話題にのぼったが、ベーカーは優れた院内総務として重きをなした。院内総務、特に多数派院内総務は、議会の実質的なリーダーである。57歳で上院議員を引退するとき、レーガン大統領は声明の中で「今世紀において最も洗練され、かつ熟達した院内総務」と高い評価を与えた。

多数派の院内総務として成功する秘訣は、以下のようなものであった。「院内総務という地位にも限界はある。異なる意見にも十分な経緯を払うべし。できるだけ多くの議員とできるだけ多くの物事を議論すべし。上院議員といえども、家族を持つ人間である。よいスタッフを選ぶべし。話し上手よりも聞き上手たれ。票読みは慎重、かつ頻繁に。誰が大統領であれ、必要な時はいつでも協力せよ。下院議員とも協力すること。少数派のリーダーを驚かせるな。いかなる時も真実を語れ。忍耐強くあれ。他の人にも同様の行動を奨励せよ」。

75歳、ブッシュ大統領から懇請されて駐日大使となった。2001年から2005年の時期は、同時テロ、イラク戦争北朝鮮BSE牛海綿状脳症)、沖縄など問題が山積だった。この間の小泉政権福田官房長官との接触は80回以上にのぼっている。ベーカーは、「日米関係は世界で最も重要な二国間関係」といった、11年以上にわたってつとめたマンスフィールド駐日大使の言葉の信奉者だった。ベーカーは、レーガン・中曽根、ブッシュ・小泉のコンビは、双方が対等、かつ慎重に扱うようにこころがけていたと観察している。

高度な維持作業(High Maintenance Opereation)とは、経済、軍事、ビジネスなどあらゆる面で、配慮が行き届いた互いの日常的メンテナンスによって関係はかろうじて保たれるという意味だろう。人間関係も同じだが、立体的、多面的なコミュニケーションがか欠かせない。国家関係においては、さらにそれが高度になる。 

ハワード・ベーカー 超党派の精神

ハワード・ベーカー 超党派の精神