夜は代々木で知研東京のセミナーは蔡英俊「ホントの中国」。午後は荻窪。午前は多摩で授業:テーマは「日本」。

夜は代々木。

17時半:幹事会を開催。福島、小野、池淵、根岸、小林。「新・深・真」。「野田一夫語録」。セミナー講師の選定。、、、。

18時半:知研東京のセミナーは蔡英俊「ホントの中国」。

宮城大学一期生(留学生)。仙台でIT企業を起業し県庁の仕事。中国北京で4年間、食品安全の企業を創業、カラーコード。5年前に日本に戻り、富裕層インバウンド向けの旅行会社を起業。富裕層向けに医療提供のニーズ。細胞治療、美容、日中再生医療協会をつくる。旅行と医療がキーワード。中国海南道の特区で展開へ。、、、

この四半世紀の日中大逆転の構図が、蔡君の半生の遍歴で見事にわかる講演だった。IT、食品安全、インバウンド、高度医療と、時代の波がしらを走っている経営者としての姿は参加者に感銘を与えた。知研へ復帰する会員が増えてきた。本日は能勢さん。毎回、新人も。本日は中村さつきさんが登場。八木(財政)、猪俣(邪馬台、本、清水喜美子)、根岸、力丸、中村、、、。

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午後:荻窪

午前:授業。テーマは「日本」。俳句、琉球、マンガ、和服、浮世絵、カラオケ、歌舞伎、ファミコン、茶道、米、能、ひらがな。

昼食は橘川さん、久米さん、NTTデータ中国の津田さんと稲城の「梅月」にて。「旨いものを安く、美しく」、その通りの店。

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「名言との対話」6月28日。佐々木久子「造り酒屋あるところ、佐々木久子あり」

佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本編集者評論家随筆家である。

 雑誌『』(1955年 - 1997年)の編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走した事でも有名だ。 1955年4月、雑誌『酒』を創刊。以来1997年までの42年間にわたり、編集長を務めた。創刊から1年で赤字のため廃刊に追い込まれかけた『酒』を小説家火野葦平が救った。火野は、命ある限り無償で執筆する旨の証文を書き、同誌に原稿とトビラを約束どおり1960年のその死まで書き続けた。また多くの文人を紹介した。

 『佐々木久子の お酒とつきあう法』(鎌倉書房)には、著名人のの酒に関する言葉がでてくる。。幸田露伴「お酒は心をつぐものである」。斎藤茂吉「豊酒はためらはず飲め 楽しかる今日の夕べのこの一時を」。古人のいう飲酒十徳「礼を正し、労をいとはず、憂を忘れ、鬱をひらき、気をめぐらし、病をさけ、毒を解し、人と親しみ、縁を結び、人寿を延ぶ」。内田百閒「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいうもののお前ではなし」。太田蜀山人の飲酒法令「一日中飲むのは止めよう」。伊馬春部「日本酒なんていうのはけしからん、酒またはお酒といいなさい」。貝原益軒「凡そ、酒は夏冬とも冷飲、熱飲はよろしからず。温酒を飲むべし」。大平正芳「日本酒は国酒だ」。酒は冨士見酒、仙台の「炉ばた」の四戒「大声合唱、他座献酬、席外問答、乱酔暴論」、、、。

この本には酒にまつわる蘊蓄も紹介されている。上戸と下戸の由来は万里の長城をまもる兵士の故事から生まれた。醸造酒は上半身から酔う。蒸留酒は下半身に酔いがくるそうだ。また、人肌をはかるには、女性の乳房の下あたりの暖かさという表現も面白い。

私の郷里大分県の国東は3泊4日ないと古い往時に身を置くことができない。65か所の寺があり、その総称を六郷満山という。ここには「西の関」という銘酒がある。「西の関」という名前は東北一の名酒の秋田の「両関」と灘の生一本「大関」にあやかっていることをはじめて知った。

『酒縁歳時記』、酒が人を呼び、酒が味をよぶ。『男百人 男だけの肴』、酒を愛する男つくる肴とは、、。『酒を恋うる話』、酒を愛することは、人を恋うることでもある。酒の傑作アンソロジー、、、などの著書がある。「恋ひ恋ひて今ひとたびの花と酒」という句を柳女という名で詠んだ佐々木久木の人懐っこい笑顔を思い出す。

誰の言葉だったか、私は「人一杯酒を飲み、酒一杯酒を飲み、酒一杯人を飲む」という言葉も面白いと思う。「一杯。二杯、三杯」といういいかたのあるようだが、こっちの方が気に入っている。

昭和初期には7000軒以上あった全国の酒蔵は、1955年に4400軒、1982年に2600軒、2016年では1400軒と減り続けている。酒蔵から酒蔵へ歩き続ける酒行脚は、酒縁ともいうべき人々との出会いの連続であっただろう。「造り酒屋あるところ、佐々木久子あり」と「いわれた佐々木久子は、生涯でいくつの酒蔵をまわったのだろうか、気になるところである。

佐々木久子のお酒とつきあう法

佐々木久子のお酒とつきあう法