映画『新聞記者』ーー「映画史上初の試みとなる大胆不敵な政治サスペンス映画」

映画「新聞記者」をみた。多摩センターのイオンシネマ

企画制作は1949年生まれの河村光庸(70歳)、監督・脚本は1986年生まれの藤井道人(33歳)、主演は1988年生まれの松坂桃季(31歳)と1994年生まれの韓国人俳優のシム・ウンギョン(25歳)。観客は問題意識の高そうな中年以上の人が多かった。

原案は東京新聞記者の望月衣塑子「新聞記者」。特別出演は望月衣塑子と前川喜平。協力は瀬口晴義(東京新聞社会部長)。撮影協力に東京新聞三鷹専売所。

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河村光庸「この数年日本で起きた現在進行形の政治事件をモデルにしたドラマがリアルに生々しく劇中で展開していくという映画史上初の試みとなる大胆不敵な政治サスペンス映画」「映画こそ自由な表現を」。「前人未踏の道を進んでまいります」。

関係者全員の「勇気」がみなぎる作品。異例の全国150館で上映というから、インパクトがあるだろう。

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ジム:パーソナルストレッチ30分。スイミング300m。

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「名言との対話」6月30日。石橋幹一郎「リーダーのバトンタッチはリレー競争と似ているところがありますね。第一走者がへとへとで顎を出してからでは次の走者も走れない。第一走者も第二走者も元気よくバトンタッチできる体制が望ましい」

石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年大正9年)3月1日 - 1997年平成9年)6月30日)は、日本の実業家 

東大卒業後、海軍主計科の短期現役に志願して海軍経理学校入学。1944年卒業。1945年に高等文官試験に合格するが、ブリヂストンタイヤに入社する。1963年、43歳で父である創業者石橋正二郎の後を継いで社長に就任。1973年、会長。1988年にアメリカのタイヤ会社ファイアストン社を買収し、世界一のタイヤゴムメーカーとなった。ブリジストン石橋正二郎が「東洋一のタイヤメーカー」を実現させ、幹一郎が「世界一」にしたのである。

石橋正二郎は政治家・鳩山一郎を財政面から生涯にわたって応援している。娘で幹一郎の妹の安子が一郎に嫁いでだ鳩山安子だ。その息子が鳩山由紀夫鳩山邦夫である。

幹一郎は母校明善高校創立100周年で講演している。「実業人という者は、実績でもって黙って世の中の評価を受けるのが本筋」だとして、「本当は喋ってはいけないのでありますが、、」と述べまがら所信を語っている。今回読んだ『正二郎はね』(中野政則)は、幹一郎が語る正二郎の思い出が中心だった。この本のために、ブリジストンの社員だった中野に「正二郎はね」と常に語りかけた。幹一郎が自分を語ることはきわめてわずかだった。

「伝記」と「評伝」で有名な小島直記は、34歳の時、勤めをやめてペン一本になるが、うまくゆかずに友人の石橋幹一郎を通じて、ブリジストンに入り、石橋正二郎という巨人と遭遇している。

以上のエピソードに見るように、石橋幹一郎は経営能力が高いことはもちろんだが、世話好きで人柄がよかったようだ。

石橋幹一郎は、創業者の父を尊敬し、高文合格を捨てて同族会社に入り、その事業を大発展させる。資本と経営の分離を実行し、経営のバトンタッチを上手に成し遂げ、同族会社を世界的企業に押し上げた。1997年に名誉会長を退き、取締役相談役に就任した直後に73歳で急逝する。幹一郎の葬儀は市民葬となり、献花者は4000人を超えた。幹一郎の水が流れるようなスムーズな出処進退は実に見事だ。 

正二郎はね -ブリヂストン創業者父子二代の魂の軌跡

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