「高畑勲展ーー日本のアニメーションに遺したもの」ーー日本への回帰

国立近代美術館で今日から始まった「高畑勲展ーー日本のアニメーションに遺したもの」をみた。

高畑勲(1935-2018)は、外国遍歴を経て、最後は「日本への回帰」となったのが最大の印象。若い人が多い。

  • 「子どもの心を開放し、生き生きさせるような本格的なアニメーションシリーズを作るためには、どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた」
  • 「アニメーション映画で「思想」が語れるのだ。「思想」を「思想」として語るというより、物に託して語れる」

俳優・ファッションデザイナーの井浦新が国立近代美術館に入るところの撮影に遭遇。井浦新日曜美術館の前司会者。

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買ってきた冊子『高畑勲展ー日本のアニメーションに遺したもの』を読もう。

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「アラハン」の企画が完成。さて、どうなるか。

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ヨガ。地研。

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「名言との対話」7月2日。大竹省二「(レンズの)クセを論じるのではなく、クセをどう作画にいかすかという一点に関心があるのである」

大竹省二(おおたけ しょうじ、1920年5月15日 - 2015年7月2日)は、日本写真家

 中学生の頃よりアサヒカメラなどのカメラ雑誌に写真の投稿を始め、コンテストへの入選を重ねる。 10代の後半には有望なアマチュアカメラマンとして著名になった。 1940年中国上海在住の伯父を頼り渡航。上海の東亜同文書院に入学する。1942年応募した写真が農林大臣賞と読売新聞社賞を同時に受賞する。1944年軍報道部、憲兵司令部で報道写真を担当し北京大使館報道部付となる。1946年(昭和21年)には連合国軍総司令部GHQ)報道部の嘱託となる。

人生のはじめから95歳で没するまで写真一筋に生ききた人である。大竹の写真の対象は、人物中心で、特に女優など女性のポートレート写真が多いのが特徴だ。女性写真の巨匠である。

クラシックカメラ選書37『大竹省二のレンズ観相学 距離計用レンズ編』(大竹省二)では、使用したカメラ、レンズの記述とともに、「積年の芸の重さに鍛えられた迫力」の山田五十鈴、「ホットした温かさを感じる」池内淳子、横から撮った浅丘ルリ子などの作品が掲載されている。気品のある柔らかさ、丸みのある解像力、繊細で雰囲気のある描写、軽快でシャープな切れ味と表現、、、、。この書では、他に、「汗が滴るのを立ったまま、ジッとカメラを凝視」した「三船敏郎さん」、「はじらい」「茶碗酒」「スマイル」なども印象的だ。

 「画家がいろいろな画筆や色材をいかして絵を描くように、レンズの持ち味を撮影にいかすことを心がけてきた。被写体と撮影距離、光線状態を選んで作画するのである」、そして「(レンズの)クセを論じるのではなく、クセをどう作画にいかすかという一点に関心があるのである」と「まえがき」で述べている。大竹省二は武器であったレンズのクセは、それぞれのレンズの持ち味とみなした。人にもそれぞれクセがある。それは長所や短所としてみるのではなく、一人ひとりの持ち味としてとらえよう。 

大竹省二のレンズ観相学 (クラシックカメラ選書(37))

大竹省二のレンズ観相学 (クラシックカメラ選書(37))