午前:学部授業「参院選公約」の図解化の2回目、テーマは「社会保障、子ども」、支持政党が決まりつつある。夕:濱田健司「農福連携の取り組みについて」。

学部の授業。テーマは「参院選公約」の図解化による理解。主要政党の公約比較表が題材。先週は「消費税、経済・財政」、2回目の今回は「社会保障、子ども」がテーマ。だんだん支持政党ができつつある。

  • 本当に面白かった。選挙へ向けて知識が広がった。与党は似ている、幼児・保育に関しては野党も与党も一致。教育だけみても各党の違いがある。政治には興味はなかったが興味が湧くようになった。自分の意見をもって選挙に行く。似ていても細かな違いがある。無償という言葉はあるがお金はどこからか疑問。実際に実現してほしい。要点を抑えて読むと理解できる。どの政党の公約も似ている。アンテナが立った。比較することによって違いが明確になった。社会保障についてわかるようになった。図解を描くには体のコンディションに左右される。図にするとここまでみえてくるのか。よい政党に投票したい。どこに注目するかでまとめ方が違うのが面白い。政党が図解を使って政策をみせるともっと票が入る。授業で参院選のことをやってもらうのは有難い。日本は年金についてすごく悩んでいる。この授業で学んだことを生かし投票する。しっかり理解して投票に行く。図解は魔法。図解に怖いものなし。政党に対する偏見がなくなったがまだ決められない。政治を勉強する良い機会。
  • 日本維新の会の会はいい印象だが金はどこから?、立憲民主党がいい。立憲民主党日本維新の会自民党がいい。自民党の子ども教育に対する考え方に共感。自民党に投票。日本維新の会がいい。社民党が一番良い。立憲民主党がよい。立憲民主党がいい。教育の完全無償化の日本維新の会を応援。日本維新の会を支持。立憲民主党がいい。自民党がいい。前回は公明党、今回は立憲民主党立憲民主党。維新の会の理想はいいが非現実的。主張に根拠がある立憲民主党が良い。共産党がよい。公明党に一票。共産党民主党自民党立憲民主党立憲民主党共産党は学生の味方。自民党
  • 留学生:日本の大学授業料は高い。日本維新の会の完全無償化の実現は難しい。日本の政党の理想は素晴らしい。社民党の公約を図解した。日本はアジア近代史でもっともはやく政党で成り立った国家。

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橘川さん、同行してきた雑誌編集者と永山で昼食。

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立川経由で九段:17時半:マグネットの岩沢さんと打ち合わせ。

18時半:斎藤勁先生の「一般社団法人勁草塾の文庫カフェの会に出席:濱田健司(JA共済総合研究所主任研究員)「農福連携の取り組みについて」。

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働きたい障害者と高齢化で働き手がいない農業を結びつける農福連携の仕掛け人が語る、日本を救う思想と具体的プロジェクト。身体・知的・精神障碍者は18-64歳人口の7.3%の900万人以上。農業は癒し。鹿児島、香川、能登半島の事例紹介。農水省厚労省の連携。政府の施策に取り上げられていくプロセス。全国展開が今から始まる。引きこもり、受刑者などへの展開の可能性。テロ対策などを含めた世界への展開という夢。

感銘を受けながら図メモをとったのだが、残念ながら帰りの途中でメモを紛失してしまった。濱田さんの著書を読むことにしたい。

隣の人と名刺交換:沖縄振興開発金融公庫の渡部副理事長。全駐留軍労働組合の勝野さん、EFSETの浜地さん、大都設計の高橋所長。

10月11日は私がゲストスピーカーに招かれている。 

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「名言との対話」7月12日。柴田承二「研究面では大変厳しい先生でしたが、研究を離れてはもの静かで、いつも微笑んでいらした」

柴田 承二(しばた しょうじ、1915年10月23日 - 2016年7月12日)は日本の薬学者。

1938年 、東京帝国大学医学部薬学科を卒業。1944年、 東京大学助教授に就任。1950年、- 東京大学教授に就任。1953年、- ロンドン大学衛生熱帯医学校客員研究員に就任。1968年、 ブリティッシュコロンビア大学客員教授に就任。1968年、 東京大学薬学部長に就任。1976年、- 定年退官し、明治薬科大学教授に就任。その他、薬学研究奨励財団理事長、日本薬学会会頭、正倉院薬物調査員などを務めた。1997年文化功労者

 100歳で亡くなった時、柴田の業績や人となりについて、公益社団法人 日本薬学会会頭 の太田茂は次のように述べている。「研究面では、地衣、菌類の研究に大きく貢献しました。地衣に広く存在する黄色色素ウスニン酸の研究や、当時輸入米へのカビの混入が社会問題化していたイスランディア黄変米事件において、原因菌となった毒成分の構造を解明するなど、多大な成果を挙げました.また、生薬学の研究分野においては、天然薬物成分と生物活性との構造活性相関について化学的研究法に薬理試験を併用する手法で研究に取り組まれ、長らく解明されてこなかった薬用人参、甘草、芍薬や柴胡などの漢方薬の有効成分を明らかにしました」。

父の 柴田桂太(1877年9月20日 - 1949年11月19日)は植物学者で、東京帝国大学教授、植物の受精・胚発生のメカニズムの研究した。祖父 の柴田承桂(嘉永3年5月12日 (旧暦)1850年6月21日)- 明治43年(1910年8月2日)は薬学者で、東京帝国大学教授、東京医学校の初代製薬学科教授である。明治初期から活躍を始めた祖父、明治後期から大正、昭和の前半にわたって活躍した父、そして戦後から平成の間に業績をあげた本人と、この近代日本の三代にわたる学問一家の事績をたどると、柴田承二という傑出した学者が出現する必然性を垣間見る思いがする。血筋、環境というものの力を感じるケースである。

冒頭の柴田承二の人となりの描写は、弟子で東大名誉教授であった海老塚豊の言葉であるが、その後には、「絵画や音楽などにもご造詣が深く、またスポーツマンで、30歳を過ぎてから始められたというテニスをつい最近まで楽しまれておられたとお聞きしています。卓越した洞察力、強靭な精神力、そして若者にも負けぬ体力を備えておられ、まさに超人というに相応しい先生でした」と柴田の人間性と日常を語っている。幸福と富貴と長寿を道教では「福禄寿」というが、柴田承二の学問人生は、肉体と精神の健康を土台としてこの3徳を兼ね備えた生涯であったというべきだろうか。