「画家の絵を見なさい、写真集を見なさい、小説を読みなさい、写真を撮りに旅に出なさい」(山本二三)

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「山本二三」展で、227点の作品を一挙公開したベストセレクションを堪能した。

アニメの進行・完成はどうやって行われるのか?

監督やプロデューサーが作品の世界観をつくり、キャラクターイメージを決める。監督が絵コンテを描く。アニメーターがキャラクターの絵を描く。美術監督の指示で背景画を描く。背景画にキャラクターやCGを重ねて撮影・編集して、アニメ画面になる。アニメーションの「もののけ姫」クラスになると、のべ2000人のスタッフが関わる。

山本によると、背景画は、芸術性と職人性が半々である。芸術性と職人技が必要とされる商業的な芸術だ。背景画が美術作品の一ジャンルとして世界で認知されて、背景画の複製を作るとか、もっと希望の持てるスタイルができるなら、未来の才能も育つし、日本のアニメーションが更に活性化するのではないか。これが背景画という新分野の第一人者になった山本二三の志だ。新分野を切りひらいた人には使命がある。

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以下、展覧会でみた背景画。

未来少年コナン」「ルパン三世2ndシリーズ」「じゃりん子チエ」「名探偵ホームズ」「天空の城ラピュタ」「火垂るの墓」「おのぎりころりん」「くじらぐも」「おおかみと7ひきの子やぎ」「はとよ ひろしまの空を」【Coo 遠い海から来たクー」「タイコンデロンガのいる海」「もののけ姫」「かちかち山」「ファンタジックチルドレン」「時をかける少女」「ミヨリの森」「川の光」「宇宙ステーションへようこそ」「くまのがっこうージャッキーとケテイ」「無告の森」「ハイドウナン」「世界樹の迷宮Ⅳ 伝承の巨神」「歩き屋フリルとチョコレートきしだん」「グスコーブドリの伝記」「菩提樹の春夏秋冬」。

五島市の山本二三美術館の「イメージ図。

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ジム:ストレッチ、ウオーキング30分3キロ、ストレッチ、バスで2時間。

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「名言との対話」7月14日。大野晋「新しいもの(子ども)は、血だらけになって出てくるもの」

大野 晋(おおの すすむ、1919年大正8年)8月23日 - 2008年平成20年)7月14日)は、日本国語学者

小学四年生、『広辞苑』『字源』を父が買ってくれいつも繰っていた。一高にはビリで合格。1943年東京帝大国文科卒業。1950年学習院大学助教授、1960年教授。1960年、国語審議会委員。1990年、定年退職。1994年、『係り結びの研究』で読売文学賞。1999年、10年かけて書いた『日本語練習帳』が190万部のベストセラー。井上靖賞。

井上ひさしが「川上肇の『自叙伝』以来の自伝の傑作である」と最大限評価する『日本語と私』(大野晋)を読んだ。

東京帝大国文科に入学。「生きている間にせめて一冊の書物が書けるようになりたい」との希望を持っていた大野には研究室の書架に並ぶ書物は墓標にみえた。墓標の一つすら立てるかもわからなかった。

その大野晋は、11年かけて『万葉集』(四冊)、『日本書紀』(二冊)を校訂、訓読、注を書く。『岩波国語辞典』は20年かかった。『古語辞典』の刊行時は55歳であり、大野の貴重な壮年は辞書に費やした。若い時からしばしば病気をしたから60歳まで生きられればいいと思っていた。ところが、人生は60歳から28年も続いたのである。そして75歳で『係り結びの研究』、80歳で『日本語練習帳』を書いた。還暦までの蓄積が、半世紀にわたる活躍をもたらしたのだ。この連載「両国橋から」を単行本『日本語と私』として出したのも80歳だ。その2003年の文庫本を読んだのだ。

同時代の作家の評価は高い。井上ひさし「これこそが日本語の文章なんだ」、丸谷才一「最高の日本語学者だった。音韻にも文法にも詳しく言語を文明全体と関連させてとらえた。日本語という謎を解く事を志し、粘り強く成果をあげた」。

大きな仕事をした人の日記を読むようになった大野は、本居宣長紫式部の恋愛の兆候に気がつく。宣長は失恋と得恋があり、式部は藤原道長との情事があったと推理する。

この本の末に「事実を追い求めて」という弟子の大野陽子の文章が、大野晋の人柄と志と決意をあますところなく伝えている。大野晋によれば、「ご注文はこれでよろしかったですか」の「た」は過去の「た」ではなく、「来週の会議は水曜日だった?」と同じ確認をあらわす「た」だ。私の長年の疑問が晴れた。

以下、大野晋の言葉。

・その時その時の全ての力と心を尽くして生きればそれでいい。

・気にかかることがあったら、ペンダントのようにいつも胸の前に提げていなさい。

・空想力に欠けた者は、学問をなぞることはできるが、学問を切り開くことできない。

・一つのことを守るためには、他を捨てなければならない。

・僕は結局、たった四冊しか本を読まなかった。『古事記』『日本書紀』『万葉集』『源氏』。読んだといえるのは、この四冊だけ。

・契沖は二百年経ったら自分の絵は理解される、と言ったがそうだが、僕も、百年のちには、、、。

一つのこととは「日本とは何か」という問いをどこまでも追いかけて、自分なりの答えをみつけるという「志」だ。世間では横のものを縦にすれば学者だといわれていたことに大野は、それは「ブローカーだ」反発する。西洋かぶれの「かぶれ」とはカビのことだ。カビにはなりたくなかった。「日本とは何か」を追いつづけた大野晋はその答えは見つけたと思ったのだろうか?

「日本とは何か」「日本人とはなにか」は、普遍的な問いである。それぞれの分野で、その答えを見つけようとする。私も究極のテーマは、「日本とは何か」と「日本人とは何か」になってきつつある。その答えを見つけられるかはわからないが、その道を歩いていこう。

 日本語と私 (河出文庫)

日本語と私 (河出文庫)