学部の成績付け。大学院の最後の授業。

多摩:成績付けの日。明日からしばらく地方回りなので、秘書の近藤さんと打ち合わせ。

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品川:大学院の授業の最終日。提出課題は「私の仕事」のブラッシュアップした図解。8月8日締め切り。

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 「名言との対話」服部正「芸術家とは、人間を感動させる域まで達した最高の職人に対して、他人が与えてくれる最高の賛辞なのだ」

服部 正(はっとり ただし、1908年3月17日 - 2008年8月2日)は日本の作曲家。老衰で100歳で没。

戦中から戦後にかけては『次郎物語』や黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』などの 映画音楽放送音楽を担当した。誰もが知っている、「ラジオ体操第一」(1951年)の作曲者である。1953年、国立音楽大学教授に就任。

日本のクラシック音楽の大衆化に努めた作曲家である。次のように実に幅広い分野の仕事を手掛けている。管弦楽。オペラ。オペレッタ。バレエ。吹奏楽。歌曲。マンダオリンオーケストラ。ミュージカルファンタジーシリーズなどの音楽物語。「次郎物語」や「わが青春に悔いなし」などの映画音楽。NHK「バス通り裏」などの放送音楽。キンカンやパンビタンなどのCMソング。音楽教材。慶應義塾高等学校や仙台育英学園高校などの校歌。岐阜県や埼玉県の県民歌。

 服部正のつくった曲のうち、誰もが知っているのは「ラジオ体操第一」だろう。「子供からお年寄りまで一般の人が行うことを目的とした体操」である。私も毎朝お世話になっている。この曲は1951年から半世紀以上も毎日流れている。

略歴、譜面、音源などが紹介されている 「服部正WEB資料館」を見つけた。服部正の息子が定年退職を機会にサイトの運営と、父の作品の整理、委嘱元団体との連絡等を展開することになった。そのWEBで「館長の独り言」というエッセイを公開している。服部正人間性を垣間見ることができる。

「60年以上に亘って慶應義塾マンドリンクラブの指揮をしていた事によるその間の卒業生が数百人にも及ぶ」「東京銀座ロータリークラブの会員で、その歌を作曲している」、、。今後は施設としての人物記念館ではなく、この資料館のようにWEB記念館、資料館が増えてくるだろう。

職人と芸術家の違いについては、「目的にしばられるアルチザン(職人)に対し、アーチスト(芸術家)は自由である」「職人の中から芸術が生まれて、芸術家といわれる人の中からは、芸術は生まれてきません」などさまざまの職人や芸術家が語っている。職人という言葉から連想するのは、職人気質、職人芸、職人精神、職人仕事、職人肌、職人学などだ。和の職人たちの仕事には「研ぐ 編む 洗う 鋳る 彩る 打つ 置く 起こす 押す 祈る 織る 描く掛ける 固める 鍛える 切る 括る 繰る 組む 提げる 挿す 絞る 摺る 刷る 染める 叩く 断つ 付ける 包む 紡ぐ 綴じる 煮る 縫う 塗る 練る 剥ぐ 挟む 嵌める 張る 貼る 引く 挽く 彫る 蒔く 曲げる 磨く 蒸す 揉む 焼く 割る」などがある。音楽職人にふさわしい動詞は何だろうか。

服部正は、センテナリアン人生を送った幸せな芸術家だ。その彼は「職人にもなれない奴が、芸術家なんかなれるわけがない」とし、最高の職人が、芸術家の尊称をもらうという考えだった。専門的な優れた技術を身に着けたアルチザンが、やがて芸術性を持ったアーチストになる。それは自身の長い成長の歴史からでた思想だろう。