小幡記念中津市立図書館。新刊『平成時代の366名言集』を館長さんに寄贈。
中津北高校に新刊本を寄贈。
小幡 篤次郎(おばた とくじろう、1842年7月15日(天保13年6月8日) - 1905年(明治38年)4月16日)は、幕末の中津藩士。明治時代の政治家(貴族院議員)・教育者・思想家。慶應義塾長。中津市学校初代校長。
左から朝吹英二。福澤諭吉。小幡篤次郎。中上川彦次郎。
中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日(1854年10月4日) - 明治34年(1901年)10月7日)は、明治時代の官吏・実業家。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し、三井家の最高議決機関である「三井家同族会」を設置。「三井中興の祖」として高く評価されている。従五位。三井合名理事長。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。中津出身。
小幡の実家後に建った図書館には、中学・高校時代によく通って勉強した。
現在は、再興なった中津市学校。一階は学習室。2階はセミナー室。
村上巧児。
新装なった村上記念童心会館。
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夕食は、母と、藤田くんと瀬口くんとでタットリ屋で歓談。
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「名言との対話」8月8日。翁長雄志「自分にできることは精一杯やった」
翁長 雄志(おなが たけし、1950年10月2日 - 2018年8月8日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)、沖縄県知事(本土復帰後第7代)を歴任。
沖縄の政治家では、屋良朝苗、瀬長亀次郎、西銘順治、太田昌秀が思い浮かぶ。その系列の大きな存在が翁長元知事だ。
1985年那覇市議。県会議員、自民県連幹事長、仲井眞知事の選対本部長。2000年那覇市長、4期。2014年沖縄県知事。保守政治家としての信条は「政治は妥協の芸術」だった。座右の銘は「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」。死去の日には、琉球新報の号外が2度出た。「魂の政治家」だった。
政治家の父は、基地を巡ってウチナンチュウ同士がいがみ合う様を見せ付けられた。それを高見で笑っているのは誰か、と常に語っていた。
まだ元気な頃、東京のシンポジウムで翁長さんの話を何度かきいた。穏やかなだが、はっきりとした口調で、自制心をもって、沖縄の現状と主張を語っていたのが印象に残っている。
以下、翁長知事の主張から。
・安倍首相の「美しい日本」、「日本を取り戻す」の日本に沖縄は入っているのか。
・日米安保は理解するが、0.6%の国土面積に米軍専用施設を74%も置くのは、とんでもないことだ。
・平和、基地の問題で自己決定権がないために翻弄されるようでは、沖縄に生まれた政治家としては、将来の子や孫に責任が持てないと思っている。
日本に」ついては、「品格のある、民主主義国家としても成熟した日本になって初めて、アジア、世界に飛び出ていける。、、、日本の政治の堕落だといわざるを得ないと思う」と戒めている。
翁長は知事在職のまま、すい臓がんで倒れた。最後まで意気軒昂として辺野古基地建設
阻止に努力した姿は、県民と国民に強い印象を与えた。
「県民が右と左で対立しているのを、後ろで笑っている人たちがいる。だから沖縄は一つにまとまらないといけない」と常に語っていたと妻の樹子さんは述べている。享年67。私と同じ1950年生まれの翁長知事の生き様には、深い感銘を受ける。