『最後の瞽女 小林ハル 光を求めた105歳』(NHK出版)ーー「良い人と組めば毎日が祭り、悪い人と組めば修業」

『最後の瞽女 小林ハル 光を求めた105歳』(NHK出版)を読了。

「良い人と組めば毎日が祭り、悪い人と組めば修業」。

語りは小林ハル、構成は元NHKチーフディレクターの川野楠己。

最後の瞽女 小林ハル 光を求めた一〇五歳

最後の瞽女 小林ハル 光を求めた一〇五歳

 

小林 ハル(こばやし ハル、1900年明治33年)1月24日 - 2005年平成17年)4月25日)は、日本瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女として脚光を浴びた。

生後3か月で失明。5歳で入門、7歳から稽古、8歳で初めて巡業に出て以降、22歳で師匠になり、1973年昭和48年)に廃業するまでの65年間、西頸城郡を除く新潟県全域と山形県の米沢・小国地方、福島県会津地方を巡った。「瞽女唄」は、盲人女性が三味線を伴奏楽器にした音楽をいう。彼女らは芸能集団を維持するために厳しい掟を守らねばならない。結婚もできない。想像を絶する生活だ。甘えは絶対に許されない。弱点をかばいあいながら団結して外敵と外圧に対処していかなかぎり生きていくことができない弱者たちだ。守り本尊は弁天さま、お不動さまだ。

1978年(昭和53年)「瞽女唄」が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択され、その保持者として認定される。1979年(昭和54年)、黄綬褒章を授与される。選択無形文化財の保持者に認定されたことをもって人間国宝となった。

「何事も修業だと思わなければ、続けていかんねぇね」「本当のことは神さまや仏さまが見てよく知っていなさるんです」「いじめとも思える仕置きや、修業のときに味わった苦い体験を弟子たちにはさせないぞ」「もったいない」「一度聞いたら一度で覚えろ」

この本の中の雪が降ると方向感覚を失うという話のところで、帯広点字図書館を創設した全盲の傑人・後藤寅市(1902~1971)という人が出てくる。この後藤寅市は、知り合いの帯広の後藤健一さんの祖父であろう。

 岡山県倉敷出身の斎藤真一画伯は、高田瞽女に密着取材をし、『絵日記・瞽女を訪ねて』などを出版した。斎藤真一の描く瞽女の絵は、山形県天童市の出羽桜美術館の分館「斎藤真 心の美術館」でみて感銘を受けたことがある。悲しみと哀しみの絵である。

川野楠己は、音質が劣化しないデジタル録音でCD化して残そうとして『最後の瞽女 小林ハル 96歳の絶唱』を完成させた。

百寿者となった最後の瞽女小林ハルの「良い人と組めば毎日が祭り、悪い人と組めば修業」は、今でも通用する心掛けだ。

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・久しぶりのジム:400mを泳ぐ。

・2週間の旅で「名言との対話」がなかなかはかどらなかった。その穴埋めを開始。15日のさくらももこを終了。後8人。

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 「名言との対話」8月17日。佐藤正忠「現役でいるためには、それだけの環境に自分を置いておかなければならない」

佐藤正忠(1928年ー2013年8月17日)は、ジャーナリスト。85歳にて他界した。

明治学院大学で学ぶ。一冊の本『学生易者』がきっかけで世の中に出た。リコーの創業者・市村清の秘書として活躍し、各界一流の人物の知遇を得る。1964年フェイス出版社を創立。後に雑誌「経済界」を主宰し、人間に対する卓越した洞察力で経済評論に新風を吹き込んだ。1979年、51歳で脳卒中に倒れ半身不随となるが、奇跡的に再起を果たした。

佐藤正忠『70歳にして立つ』(経済界)という自伝的エッセイを読んだ。 「ペンを持つ仕事をしたい」と考えていた佐藤は「『ビジネスウイーク』のような経済雑誌を日本で創刊しよう」という志を抱く。「人生武者修行」をモットーとして、浜田庄司升田幸三など多くの一流の人物に会い続ける。井植歳男から実の息子のように可愛がられた。

 40歳を少し過ぎたころ、秋田から選挙に出て次点で落選。獄中で政治を断念し「今に見ておれ!」と、経済ジャーナリズムの世界を邁進する。佐藤正忠によれば、一流の人たちの共通点は「いい人」であることだった。そういう人が偉くなっているという。

宮城大学時代に、野田一夫学長を訪ねてきた佐藤正忠に紹介されたことがある。佐藤はJALへの厳しい記事で有名だったが、私がJALの広報出身だ自己紹介し、話の輪に入った。佐藤正忠は、足が少し不自由だった。2000年前後だったから、佐藤正忠は70代に入った頃だっただろうか。その時の様子を思い出しながらこの本を読んだ。

「出会いを大切にすることから人生は始まる」「 よき先輩とよき友人のある限り、この人生に絶望することはない」「私は、人と人の出会いを大切にしたい。そしてそれを、大事にしてゆきたい。そこから初めて、実り多い人生が開けるのではなかろうか」

現役でいるために、佐藤正忠はどのように自らの環境をつくったのか。「経済界」の主幹として執筆のために厳しい取材スケジュールを自分に課していた。そして好奇心を失わないように、午前中にゴルフを済ませ、午後は映画で週2本をみる。音楽会にも通う。毎朝1時間、1万歩のウオーキングなども実行していた。66歳で書家としてデビューし、「30年はやろう」と決心する。

一代のジャーナリスト・佐藤正忠の、体力、気力、好奇心、そして生涯現役でいるための環境づくりに学びたい。 

70歳にして立つ―『熟年』と上手につき合う入門書

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