ヨガとジム。鮎研。子ども地球歳時記。

 ヨガとジムの日。

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鮎川義介研究会(鮎研)の会合。月一度集まる。

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社長と相談して、柴生田俊一さんの本のタイトルとそのまわりが決まった。

『子ども地球歳時記ーハイクが新しい世界をつくる』

2つのオリンピックをまたぐJALハイクプロジェクト56年の軌跡

オビは大岡信

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「名言との対話」8月27日、松山善三名もなく貧しく美しく

松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は映画監督脚本家

 『旅は道連れ 雪月花』の「追記ー亡き父・松山善三に捧ぐ」には「本来は幸せになれないはずのカリスマの女(高峰秀子)を、幸せにしたのは、松山善三である」との長女の言葉がある。脚本家・映画監督の松山善三は、一歳年上の大女優・高峰秀子の夫であり、本人の言であるように婿同然に高峰の家に転がりこんだ。「人間は一人では、生きることも死ぬこともできない」と思っていた女道産子と、男浜っ子の結婚である。

 「彼女は、一か八かで僕を選び、僕は恍惚と不安の中で、うなずいた」と松山はこの本で述べているから、高峰が積極的だったのだろう。映画スターと助監督の結婚である。

高峰秀子は天才子役スターから始まり、木下恵介小津安二郎など日本映画界の巨匠の作品に数多く出演。女優引退後はエッセイストとして活躍した。『わたしの渡世日記』では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。その妻によれば、「ひどい偏食男」「独断と偏見の人」「日に3回入浴する、こまめに着替える」「呑べえ亭主」「物書きのはしくれ」となる。食いしん坊の二人は、余裕のできた中年以降、無理なコースはとらないこと、最高のホテルに泊まること、美味しいものを食べること、という3つの条件を課した旅を敢行する。

この本では、京都、東京、金沢、札幌、熱海、神戸、小豆島・広島、博多などの出色の紹介がある。松山によれば、京都は「うまいものが、数限りなくあり、集まり、それが四季それぞれの特色を見せて旅客を楽しませてくれる。、、世界一と言ってもよい」、東京は「東京の面白さは、、、日本全国から、ごった煮のように集まった人間そのものをみることだ」「東京には世界中から、うまいものが集まってくる」ところだ。

妻が偉大であったので、夫の紹介を忘れるところだった。成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』、川島雄三監督の『接吻泥棒』、渋谷実監督の『好人好日』、小林正樹監督の『あなた買います』など多数の脚本を手がける。 1961年、若くして結婚した聴覚障害者の夫婦の第二次世界大戦末期から戦後にかけての生活を描いた『名もなく貧しく美しく』で監督デビューする。この作品は、毎日映画コンクールブルーリボン賞脚本賞を受賞する。その後も、『ふたりのイーダ』、『典子は、今』などの話題作を監督する傍ら、『人間の條件』『人間の証明』、『恍惚の人』、『親分はイエス様』のような大作、話題作の脚本もこなし続けていた。

代表作の『名もなく貧しく美しく』は松山のデビュー作だ。名もなく貧しかった松山善三は、仕事では名をなし豊かになり、そしておしどり夫婦という美しい生涯を送った。