梅棹忠夫著作集プロジェクトを開始。

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午前:大学

・講演資料作成

・本の原稿整理

・授業準備

午後:出版社

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「名言との対話」10月2日。金子哲雄「エンディングダイヤリー」

金子 哲雄(かねこ てつお、1971年4月30日 - 2012年10月2日)は、日本の流通ジャーナリストプライスアナリスト、中小企業診断士

学校帰りに通学路で主婦たちが井戸端会議をしているのを見ると、「おばちゃん、あそこのスーパーで特売やってるよ」、「今日はお肉が安いから焼肉にするといいよ」などの商品情報を提供して喜ばれていた。中学時代から商売を始めており羽振りがよかった。高校生のときには、海外との内外価格差を利用して貿易をしている。金子には流通ジャーナリストの道は早くから見えており、その通りの道を歩んでいる。

金子が生前に準備し死後に出版された、不思議な本を読んだ。自叙伝でもあり、闘病記でもあり、そして遺書でもある。そんな本だ。タイトルは『僕の死に方 エンディングダイヤリー500日』である。末期の肺がんで、いきなり死の宣告を受けてからの500日の記録だ。

子どもの頃から、スーパーのチラシと女性週刊誌によって、「安く買う」ことに目覚めた金子は「お買い得情報を伝える」評論家になると決心する。大学卒業後1年で石油会社を辞め独立する。28歳で「流通ジャーナリスト」を名乗る。「40歳でメジャーデビューできればいい」と思う。そこから人生に加速度がつく。主婦目線で話ができて、ビジネスに関する話題も発信できる。こういう稀有なポジションを獲得して、殺人的なスケジュールをこなしていく。

ある日いきなり末期の肺がんで死を宣告をされたが、それを隠し仕事に没頭する日々を送る。治療、仕事、家庭の3つのバランスで日々を生きた。存命中に発行される最後の著作を完成させる。その間、死の準備を始める。遺産整理のための公正証書遺言書。戒名は「慈雲院殿應救哲心居士」をもらう。葬儀のときの料理やお酒の手配。妻に頼んだ感謝の全国キャラバンの手配。東京タワー足下のお墓の購入と葬儀の場所の決定。遺影の準備。スーツ、ネクタイ、眼鏡の死に装束。死後の妻の住まいの準備。、、、、、。

「今日一日、この瞬間、瞬間を重ねて生きるという生き方にかえなくてはならなくなった」金子は500日を疾走した。「自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。濃い人生だった。そのことを誇りに思う」と記し、縁のあった全ての人への感謝が述べて終わっている。

「年収300万でも年収600万の暮らしを保証します」、それがプロポーズの言葉だった妻の稚子さんの長い「あとがき」がついている。夫と併走した500日を振り返っている。「金子は、生きることと同じように、死に対しても一生懸命に取り組みました」。最後の日に「自分の人生に90%満足している」と穏やかに語ったそうだ。

存命時から葬儀等の準備をしていたことについて「終活」の例としてマスコミなどで報道され話題になり、私も関心を持ったことがある。金子哲雄の人生計画では「40歳でメジャーデビュー」の予定だったが、その夢を早めに実現し、41歳で死去した。自分の人生の始末をつける。最後を完結させる。この「エンディングダイヤリー」を読みながら人生の終わり方のひとつのモデルだと感心した。