『梅棹忠夫著作集 第13巻 地球時代に生きる』を読了。年初から7巻目が終了。

梅棹忠夫著作集 第13巻 地球時代に生きる』を読了。7巻目が終了。

 「地球時代の日本人」。「地球時代の文明論」。「21世紀の人類像ーー民族問題を考える」。「国際交流の理論」。この巻も目の覚めるような理論を堪能した。

梅棹忠夫著作集 (第13巻) 地球時代に生きる
 

 次は「第12巻」の「人生と学問」を読むことにした。「日録 1971年1月」が目に留まった。1月1日から1月7日までの日録だが、酒の話ばかりだ。「酒はたのし、のむほどにブレーキがきかなくなり、盃をかさねる。前後不覚」「相手かわれど主かわらずで、したたかに酔う。そのうちにブレーキきかなくなる。また前後不覚」「夜、ひとりで盃をかさねる」「また二日酔い。われながら愛想がつきる。夢うつつで酒をやめようと決心。、、、しかし、目がさめたらまたのんだ」「のむほどにブレーキがきかなくなる」「昨夜の記憶はある。しかし酒はやめようとおもう。酒は研究生活によくない」「夜は(九州芸工大)小池新二学長にまねかれる。さて酒は?」。梅棹先生にして、こういう一面もあるのか、少し安心。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」10月14日。石田博英「組織より、つながり」

石田 博英(いしだ ひろひで、1914年大正3年12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本政治家

衆議院議員(14期)、労働大臣(第141718222339代)、運輸大臣第47代)、内閣官房長官(第1617代)、衆議院議院運営委員長(第6代)。

 今回読んだ河野洋平との共著『自由社会は沈まず!』では、宿望であった石橋湛山内閣を三木武夫(幹事長)と一緒に成立させ、40を越えたばかりの年齢で官房長官として、病気退陣を仕切った時の経緯が書いてあった。政局の静穏円滑を求めるのが自分の仕事だと考えての大仕事だった。

秋田県大館市を訪問したとき、石橋湛山の足跡をみる機会があった。横山児童公園に横山助成先生記念碑があった。横山は大館生まれで帝国大学を卒業し、内務省局長、6府県の知事・警視総監、貴族院議員、東北興業総裁をつとめた人物だ。家族が基金を寄付し公園となった。石田博英がその会の代表だった。

昭和初期の建物である欅づくりの桜櫓館は、町長をつとめた桜場文蔵邸で、桜の名所と三階の展望台の櫓から命名された建物だ。安土城天守閣を模している。大館出身の石田博英が、この近くの狩野家を私邸としていたところが、「石田ロズカーデン」となっていた。ここでも石田の名前が残っていた。

盛岡の原敬記念館で、平成12年4月の「現代」で行った「20世紀最高の内閣」という企画があった。外務大臣幣原喜重郎、大蔵:池田勇人、文部:石橋湛山、通産:岸信介、運輸:後藤新平、郵政:田中角栄、労働:石田博英、建設:福田赳夫内閣官房後藤田正晴総務庁佐藤栄作防衛庁中曽根康弘環境庁大石武一国土庁松下幸之助、金融再生:高橋是清、そして総理大臣は原敬だった。

1957年からの第1次岸改造内閣では労働大臣。1960年からの第1次池田内閣三井三池争議の収拾のため、再び労相に任命。1964年第3次池田改造内閣において三度目の労相。1976年からの福田赳夫内閣では4度目の労相を務める。20世紀最高の内閣の労働大臣に擬せられたのは、20年にわたって何度も労働大臣をつとめた実績からだったのだろう。石田博英労働大臣の印象は私にもある。師の石橋湛山も文部大臣に選ばれている。

石田博英は長い議員生活で離党を1回経験し、除名も2回されている。しかし票数はほとんどかわらなかった。政党の組織などはあてにならない。日々の「つながり」が基礎票だ。浮動票ではなく、足腰の強さ。それが当時の自民党の強みだった。