岡山県自治研修所

岡山県自治研修所(三光荘)で県職員対象の「図解思考向上講座」に出講。2か月前に1日行っている。2回目の講座だ。朝9時から17時まで。

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以下、アンケートから。

県の施策を題材としてもらったので、岡山県としての大きな取組み、仕組みについて学び、考える機会になった。今後の仕事で役に立つ。

「生き活きプラン」の内容が頭によく入った。

県民ニーズマップを使った学びで、安易に定量的なデータを使うだけでなく、リアルな実感に基づいた定性的な分析を行うことで、説得することができると思った。

県全体の目標に対して自分の業務がどのように関わっているかを考えることができた。

普段の業務が県全体のプランの目標実現に関与していることを再認識することができた。

図解のテクニックを学ぶものと考えていたが、実際に受講してみると「思考」を学ぶものだった。脳をフル回転させる経験をした。

説明が具体的な経験、体験に基づく内容だったので非常に興味深かった。・

「箇条書きをみたら疑え」

今まで見えていなかったつながりや関係性がみえてきて新しい発見をした。

最後のお話。まだまだ青年期。生涯にわたって学ぶことのワクワク感を持ち続ける人でありたい。

自分の勤務する学校も多くの季刊や地域に支えられていることを実感した。

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「名言との対話」10月16日。福沢一郎「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」

福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年明治31年)1月18日 - 1992年平成4年)10月16日)は、日本の洋画家

戦前はシュールリアリズム(超現代主義)を日本に紹介した。前衛美術運動リーダーであった。戦後は人間群像の大作に挑む。

富岡市出身。仙台の第二高等学校。東大文学部卒。朝倉文夫のもとで彫刻を学ぶ。パリ留学中に絵画に転向。33歳、帰国。38歳、福沢絵画研究所。41歳、美術文化協会を結成。43歳(1941年)、治安維持法で検挙。54歳(1952年)から57歳まで渡欧。ブラジル、メキシコを経由して帰国。55歳、芸術選奨文部大臣賞、「埋葬」が国内大賞。62歳、多摩美客員教授。66歳、女子美大教授を兼任。74歳、東京駅にステンドグラス「天地創造」。80歳、文化功労者。95歳、文化勲章。94歳、死去。

敗戦群像。黒人の公民権運動。ダンテ『神曲』時獄篇。源信『往生要集』に基づく東洋の地獄。現代の世相を地獄に見立てた連作。ギリシア神話旧約聖書魏志倭人伝などの題材を求めた。人間嫌いのヒューマニストであった。人物を裸体として群像的に扱うという方法論を持って、「世相群像」「復興」「敗戦群像」「樹海」、、、などを描いた。

「地獄図は描けても、天界のそれはむずかしい。フィフス・アベニューよりもハーレムに、天衣よりもつづれに、従順よりも反逆に、美は閃光を放つのではないか」。

「現代の世相も地獄じゃないか。往生要集もダンテの『神曲』もそのときの世相の反映だったのだから、広くみて自由勝手に描いた方が、むしろ地獄図としては面白いとおもうのです」。「政治家地獄」、「倭国大いに乱れる」、「倭国内乱」、、。

2019年5月4日の東京新聞では、世田谷区砧にあった福沢一郎の自宅が記念館になっているとの記事が出ていた。長男の妻が現在館長だ。「笑い」をテーマとした企画展を開催中であるとか。出身地の群馬県富岡市にも福沢一郎記念美術館がある。

福沢一郎と言えば「シュールリアリズム」の旗手と皆が思う。世に出た初めの印象はなかなか払拭できない。それが「俺あ、、」という発言になった。題材を歴史と世界に求めて、現代の世相を大作に込めようとした画業であった。記念館と美術館を訪ねてさらに福沢の実相に迫りたい。