授業「立志人物伝」。本日のテーマは「持続する志」。将棋の大山康晴を中心に、植物学の牧野富太郎、政治科家の原敬、小説家の池波正太郎。

授業:「立志人物伝」の本日のテーマは「持続する志」。取り上げた人物は、将棋の大山康晴を中心に、植物学の牧野富太郎、政治家の原敬、小説家の池波正太郎

ラウンジ:久米先生、樋口先生と懇談。

ーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」11月1日。二上達也座右の銘とは己を戒めるためのものだ」

二上 達也(ふたかみ たつや、1932年昭和7年)1月2日 - 2016年平成28年)11月1日[1][2])は、将棋棋士

二上達也は40年間の棋士生活を送った。856勝752敗。A級在位通算27期。タイトルは王将1期、棋聖4期。タイトル戦登場26回。名人戦順位戦を戦うA級には10人しか在籍できない。二上は27年間にわたってA級にいたことになる。

9歳年上の大山康晴とは、通算で45勝116敗。タイトル戦では20回対戦し奪取2・防衛0・敗退18であるが、大山の五冠独占を2度崩している。天才・二上達也の名前は、メディアでよく見たものだが、大山は自分を脅かすその二上を徹底的に浮上させないように気合を入れていた。

二上の10人の弟子の一人が、2019年に大山康晴の通算勝利数を抜いた天才・羽生善治だ。1989年に羽生と初めて公式戦で対局し、負けて引退を決意する。二上は大山会長の後を継いで日本将棋連盟会長に就任する。7期14年の長期政権となり、大山の12年を超えた。「最後にようやく勝った」と述懐している。会長としては、女流王位戦大山名人杯倉敷藤花戦の創設、竜王戦などのタイトル戦における女流枠の設定、国際将棋フォーラムの開催による日本以外の国への普及活動などが功績である。

勝負の世界では、ずば抜けた才能が現れると、全体のレベルがあがる。羽生世代には、森内俊之佐藤康光丸山忠久郷田真隆村山聖などがいる。1970年生まれの羽生より14歳若い渡辺明は次世代だ。2019年現在のA級のリストをみると、1973年の木村一基、1974年の三浦弘行、10年置いて1984年の渡辺明、そして1987年の広瀬章人、1988年組の佐藤天彦糸谷哲郎稲葉陽である。羽生・佐藤に近い世代と、1988年世代がしのぎを削っているのだ。今話題の藤井聡太は、2002年生まれである。

ハンサムだった二上のニックネームは「函館の天才」、「北海の美剣士」から始まり、カラオケ好きであることから「ガミさん」というニックネームももらっている。

将棋界には「盤寿」という言葉がある。将棋盤がタテ9・ヨコ9あることから81歳を寿ぐ年齢を指す。将棋盤の81の升目を全部埋めたという意味だ。その盤寿を目標としていた二上は84歳で死去している。

棋士はサインや揮ごうを頼まれる。二上は「一歩千金」、「不動心」、「柳緑花紅」などと書いていた。『棋を楽しみて老いるを知らず』(東京新聞出版局)を書いた64歳時点では「棋楽而不知老」と書くことにしていた。それは座右の銘だ。「座右の銘とは己を戒めるためのものだ」という二上は、自分に足りないもの、できないことを自分に言い聞かせているのだとも語っている。「吾、事において後悔せず」と言った宮本武蔵ほど公開した男もいないだろうという人もいる。座右の銘を意識して日々を暮らせば、足りないものが足り、できないことができるようになる。そういうことだろう。 

棋を楽しみて老いるを知らず

棋を楽しみて老いるを知らず