八木さん、根岸さん

広島行きがなくなったので、南大沢で知研の八木会長と根岸幹事と昼食会。

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以下、根岸さんのフェイスブック上の報告から。

知的生産の技術研究会 八木会長 久恒理事長と幹事小職と会談 「中国と日本に生きた高遠家の人びと」の出版記念のお祝い。次回作、フランス革命の宗派弾圧によってフランスを脱出したカトリック教徒。中国で行った布教活躍の実態。北清事変の二作。出版制作費用として生前香典を募る案。現代の日本人劣化論から人物記念館探訪、発見すること多し。知研創設50周年に向けて原点回帰。知的生産の技術の生みの親、梅棹忠夫全集を読むべし。比較宗教論、国家より民族で国をまとめる。民族から国家、経済、政治、宗教から議論しないと問題の本質は、見えてこない。図解は、問題の本質的な解決の知的生産の技術である。マイクロソフト、官庁、大学、等世界共通の知的生産の技術は、図解である。民族学(梅棹忠夫)と民俗学(柳田国男宮本常一)。今西錦司梅棹忠夫も独創的過ぎて出世が遅かった。今で言うニュータイプ。オールドタイプは、新しいことにチャレンジしない経営幹部は、仕事をしてこなかった。社内だけに忖度して出世したオールドタイプ。子供に俳句を!世界中に広めた本の出版は、良い本。こう言った意味ある本を出版できるのは、地研。それを支える知的生産の技術研究会である。等等談論風発❗️次回もこう言った本音の会を開こうと全員一致して会は散会。

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帰省している娘からの人生相談。

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ラグビーワールドカップは、南アフリカイングランドに快勝し優勝。

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「名言との対話」11月2日。加藤治子「自分のようであって、自分では決してなく、他人のようでありながら、痛みも喜びも自分のもの以上にわかるーーーそんなスレスレのところで生きているのが魅力ではあります」

加藤 治子(かとう はるこ、1922年大正11年)11月24日 - 2015年平成27年)11月2日)は、日本女優

1939年「花つみ日記」で映画デビュー。1939年、加藤道夫・芥川比呂志らが結成した新演劇研究会に参加。戦後、3人が再会。その後舞台で主演級の女優として活躍する。1952年「恭恭しき娼婦」で岸田國士賞。1963年現代演劇協会付属劇団「雲」を創立。1964年のドラマ『七人の孫』の母親役を機にホームドラマのお母さんとして欠かせない存在になった。1975年、「雲」を退団。以後はテレビの人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(向田邦子の父親がモデルで小林亜星が担当)、「阿修羅のごとく」(長女は加藤、次女は八千草薫、三女石田あゆみ、四女風吹ジュン)などで活躍した。加藤治子のたおやかで上品な演技は印象に残っている。私生活では、最初の夫(加藤道夫)を自殺で亡くすなどの事件もあった。

「突然現れて、ほとんど名人である」(山本夏彦)と言われた向田邦子久世光彦らに「昭和を描く時に欠かすことの出来ない女優」と言わしめた。「阿修羅のごとく」などのシナリオを書いた向田邦子は7つ年下だったが、姉のように付き合った。「寺内貫太郎一家」を演出した久世光彦からは、『ひとりのおんな』という本に結実したインタビューを駿河台の上の「山の上ホテル」で受けている。

NHK 人物録・NHKアーカイブスでは「自分が演技者として 自分なりに自分の立ってるこう土台みたいなのものをしっかり持ってないと 一番いけないんじゃないかと思う」と語っている。作家の描いた人間を自分という役者を通してどう描くかを考える。それが女優としての心構えだった。そして俳優は自分自身と演ずる役柄の間のスレスレのところで生きているのが魅力だとこの久世のインタビューで答えている。この俳優論は深い。 

ひとりのおんな

ひとりのおんな