梅棹忠夫著作集第12巻「人生と学問」を読了。

梅棹忠夫著作集第12巻「人生と学問」を読了。読了は8巻目。

・わたしの生きがい論「キバと幸福」「未来社会と生きがい」「人間と社会とアドベンチャーと「文化エネルギー発散のすすめ」「武と文」。

・世相と体験「アマチュア思想家宣言」「人生80年型社会の到来」「老いへの期待」「人生を語る」、、、、、。

・学問三昧「今西錦司博士還暦記念論文集」「今西錦司博士古希記念論文集」「未来学の構想」「未来についての考えかた「日本未来学会の発足に寄せて」「学問とは何か」「学問三昧」、、、、。

梅棹忠夫著作集 (第12巻) 人生と学問

梅棹忠夫著作集 (第12巻) 人生と学問

 

 老荘の徒。観察者。フロンティアの消滅。エスカレーターの時代。平和と幸福。ブタの再武装。死にがいの体系。生きていることが自己目的化。科学は「業」。材木と散木。反文明主義。エンゲル係数。プレオボーイ哲学。家庭菜園。無能レベル一歩手前。創造的無能楽天主義。尿毒症。自分の墓穴。全地球的運命共同体。主観主義。無用の用。教育と文化は正反対。毎日をつぶしていく。過剰知性。あそび産業。出家。人生に目的はない。文官の武官化。前提の切り崩し能力。ヒューマニストとナチュナリスト。思想をつかう。採長補短。日本の土民。アマチュア思想。観察者で予想屋。酒2合またはボトル1本、ダブル2杯。面白味。婚と葬、冠祭。時間か過敏症。病気と宗教。国民栄誉賞。66歳で視力喪失。ゲゼルシャフト社会日本。おばあさんの二階建て。都心での隠遁生活。覚悟。けり。人生のプレイボーイ。科学と学問。事実型・仮説型・体系型。冒険精神の否定。種智院大学。考未来学。現未来・近未来・中未来・遠未来。理論未来学と応用未来学。どうなるとどうする。諸学界の未来部会。科学は諸学問のひとつ。学問の横あるき。縁なき衆生。自由。人類の栄光を目指しての知的構築作業の連続。

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大学でひと仕事。

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「名言との対話」11月11日。淀川長治「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」

淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年明治42年4月10日 - 1998年(平成10年)11月11日)は、雑誌編集者映画解説者、映画評論家

 他の評論家の追随を許さない豊かな知識で テレビやラジオの映画解説を担当した淀川長治は活動写真が始まって13年目に盛んであった神戸で生まれた。小学校に入る前から週に9本もの映画をみていたという恐るべき映画少年だった。母の陣痛が始まったのも映画館の中だったというエピソードがある。

映画配給会社の宣伝部で活躍し、39歳からは雑誌「映画の友」の編集長を20年近くやり、58歳で映画評論家として独立。エリザベス・テイラーグレゴリー・ペックなどスタートも交流がある。しかし何といっても淀川の師匠は、インタビューをしたことのあるチャールズ・チャプリンである。チャプリンからは人生のすべてを学んだという。

日本映画史上のベスト3として、「キネマ旬報」1979年11月下旬号。残菊物語溝口健二)、羅生門黒澤明)、戸田家の兄妹小津安二郎)を挙げている。また外国映画史上のベスト3として「キネマ旬報」1980年12月下旬号。黄金狂時代チャールズ・チャップリン)、戦艦ポチョムキンセルゲイ・エイゼンシュテイン)、グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)、大いなる幻影ジャン・ルノワール)、ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ)を挙げている。 日本におけるアーノルド・シュワルツェネッガーの愛称「シュワちゃん」は、淀川が命名した。

50年続けた「東京映画友の会」の最後の言葉は、「もっと映画を見なさい」だった。その延長線上に、淀川長治映画塾が誕生した。 『淀川長治映画塾』(講談社文庫)は633ページの大著だ。1995年は映画誕生後、100年経った頃だ。 1991年から始まったアテネフランセで10年続いた淀川長治映画塾29回の講演から20講を選んで実況中継したものだ。サイレントからトーキーへの変遷、名監督、名優たちとの出会いから幻の作品のストーリーを生き生きと語っている。

映画のハードは、1893年アメリカのエジソンが自動映像販売機(映写機キネトスコープを一般公開したことや、フランスのリュミエール兄弟シネマトグラフリュミエールという、現在のカメラや映写機と基本的な機構がほぼ同じ複合機(カメラ+映写機+プリンター)を開発したことから始まる。

映画はあらゆるものをふくんだ「芸術」であり、歌舞伎も文楽もバレエも音楽も絵画もすべてを含んでいる。20世紀以降の生活の時代を感じ、学ぶのにもっとも適切なのが映画だ。「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」とする淀川は、映画はテーマではない。映画にとって大切なのはその描き方なのだという考えだった。「どの映画にも見所はある」として褒めることに徹していた。

この本では日本映画の巨峰としてただ一人黒澤明を取り上げている。「黒澤映画の一番の魅力は目ですね。画面の動きは目ですね」。「映画をつくる人は体格が要るね。、、黒澤さんは体格がいい、立派だ。そうして本当に映画を分かってくれる人には親切だな。とっても親切だ。本当に一流の人はみんなそういうもんだね。谷崎潤一郎もそうだね。文学を大事にする人は大事にするな」「黒澤明はどんな場合でも命がけで撮ってるね。あの齢になって。まだ撮ってるから、86でも映画つくるんだね。偉い人だ」。

32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説番組冒頭で「ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」の節回しや番組末尾の「それでは次週を御期待(お楽しみ)下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ...」は名台詞で有名になった。この言葉と淀川の表情はよく覚えている。愛とユーモアの人だった。誰にも負けないほど現場を知り、現物を目にした第一人者には誰でも脱帽する。そのことを淀川長治の映画人生は教えてくれる。

淀川長治映画塾 (講談社文庫)

淀川長治映画塾 (講談社文庫)