12月分の「名言との対話」用の人選と本の発注。

  12月分の「名言との対話」用の人選と本の発注。

 現代詩手帖特集版 石垣りん。

台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂宗像隆幸

告白 (角川文庫)チャールズ・R・ジェンキンス

マストロヤンニ自伝―わが映画人生を語る
峠みち〈その1〉篠原 三代平
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久米信行さんから「日経ビジネス電子版」のインタビュー記事について、フェイスブックで紹介していただいた。ありがとうございます!

日経ビジネスに図解と人物伝の達人 久恒啓一先生】

私を多摩大学に導いてくださった大恩人の久恒先生が、日経ビジネス電子版でご紹介されています。この図解、ひとつ見ても、私が目指す境地が明解に示されていて驚きます。年を重ねるほど、しがらみや守るものが多くなって不自由になる人が多い中、私が目指すのは、まさに「自由の拡大」だと気づきました。そのため、これからじわじわと人生を歩んでまいります。いつも貴重なご示唆をありがとうございます。

#日経ビジネス #久恒啓一

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以下、散歩中に撮った写真。紅葉とユトリロ

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夕刻は鮎研(鮎川義介研究会)。

鮎川義介先生追想録」は読破したので、次に以下を読むことにした。「財界人物読本」「先人に学ぶ」「戦略経営者列伝」「財界巨頭八面観」。

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「名言との対話」11月18日。平塚運一「彫り上げて いざ摺らんかな 初摺りの この嬉しさを 誰にか語らむ」

平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - 1997年11月18日)は、島根県八束郡津田村(現松江市)出身の版画家。享年102。

 島根県松江市の宮大工の家に生まれる。1913年、石井柏亭の講習会を受講し画家になる決心をする。1915年、上京し柏亭に師事。本郷洋画研究所に通う。1917年松江に帰り結婚。1920年、単身上京。「中央美術」に記者として入社。1935年には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立った。

1962年渡米し、娘桂子のワシントンの家に落ち着く。ワシントン近代美術館、シンシナチ美術館などで個展などを開催した。簡明直截でおおらかな力強い作風で、木版画の神様とも呼ばれた。

「平塚運一版画集ーー版画・スケッチ・水彩・油彩65年のあゆみ」には、私もよく知っている場所を取り上げた「雨の耶馬渓 羅漢寺」「小泉八雲旧居」「雪のニコライ堂」などが目についた。この冊子の平塚の「謝意」は「米国華府郊外 平塚運一」と結ばれている。米国華府とはアメリカ合衆国の首都ワシントンのことである。平塚は松江名誉市民となっている。また1991年には長野県須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した。

木版画という分野は、日本では伝統的に絵師、彫師、摺師という職人が存在している分業制だった。それは複製技術を重視したためである。平塚運一は木版画を美術としてみて他のジャンルと同様にすべての工程を1人の作者が担う「自画・自刻・自摺」という近代創作版画運動を担った一人である。「彫り上げて いざ摺らんかな、、」はその精神と喜びを歌ったものだ。だから、67歳から住んだワシントンでも、102歳まで35年ほどの活動ができたのだろう。